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今八幡宮
いまはちまんぐう
山口県山口市上宇野令828−1  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

旧郷社

御祭神
應神天皇 仲哀天皇 神功皇后 玉依姫 宇治皇子

山口県山口市にある。
上山口駅の北西1Kmほど。
道路の突き当たりに、境内入口の鳥居と階段がある。
階段を登ると正面に楼門。
この楼門は左右に切妻造りの翼楼が附属し、
楼門が拝殿を兼ねた形状。
全国では珍しく、山口にしか見られないものだということだ。

楼門内への入場が禁止され、
仕方なく楼門から参拝する神社は多いが、
明確に拝殿と呼ばれるものは、確かに珍しい。

当社のすぐ裏側には、野田・豊栄神社が鎮座している。
本殿裏の狭い道を下ると、野田・豊栄神社。
野田・豊栄神社の鎮座は、明治になってからだが、
それ以前は、どんな状態だったのだろうか。
ひょっとすると、当社の神域だったのだろうか。

創建年代は不詳。

宇治皇子を祀っていた神社に、朝倉八幡宮を勧請し、
「今八幡宮」と称するようになったという。

大内氏崇敬の神社である。

『二十二社註式』には、
「周防國朝倉八幡宮、神體同宇佐
人皇五十六第清和天皇貞観元年立行宮
勧請同國今八幡宮宇治皇子也」とある。

境内には幾つかの境内社があるが、
一番目立つのは八柱神社。
祭神は、菅原道眞猿田彦神となっているが、
八柱の神々を祀っているはず。
社前の提灯に、「八」の字の文字が記されていたが、
これは八柱神社のものだろうか、八幡宮のものだろうか。

楼門拝殿や本殿の屋根には三つ巴の紋。
本殿屋根には、長門三つ星の紋も付いていた。


社頭

境内入口

参道

拝殿

本殿

本殿

八柱神社

稲荷神社

戎神社

国指定重要文化財
今八幡宮本殿・拝殿・楼門
明治四〇年五月二七日指定
山口市大字八幡馬場
この社の創建年代は不明であるが、鎌倉時代に大内氏一九代弘成の娘に 今八幡殿と呼ばれた人名があり、山口に大内氏が移る以前からあった ことがわかる。文亀三年(一五〇三)大内氏三〇代義興が下宇野令の朝倉 八幡宮を今八幡宮の地に移し、二社を合併して造建したのが現在の社殿で あると伝えられている。
楼門は左右に切妻造りの翼楼を付し、正面に一間の向拝がある。拝殿は 桁行三間、梁間一間の切妻造りで、その後方に本殿がある。社殿は楼門・ 拝殿・本殿が一直線に配置されている。このように楼門を拝殿に兼ねた 造り方は山口地方独特の形式であって、山口近郷には同形式のものが 多くみられる。本殿外陣の海老虹梁や楼門柱下の礎盤など、禅宗様の 建築様式が見られる。
なお、当社には大内義隆が寄進した銅製の鰐口があり、国の重要文化財に 指定されている。

−境内案内−


 清和天皇貞観元年(八五九)豊前国宇佐八幡宮より神霊を分ち本郡下宇野令朝倉に祀る。 文亀三年(一五〇三)大内義興卿が今の地に移転、もとからこの地に有った宇治皇子を祀れる宮 を合祀し今八幡宮と号す。明治六年九月郷社に列せらる。社殿は合祀移転当時の造営と伝えられ、 本殿・拝殿・楼門は共に国の重要文化財に指定されている。

−『平成祭データ』−



【 今八幡宮 (山口市) 】

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