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佐波神社
さばじんじゃ
山口県防府市惣社町  Zenrin Data Com Maps display !!


十六日足

周防國総社
旧県社

御祭神
天照皇大神
素盞鳴尊 三穂津姫命 級長津彦命 級長津姫命
倉稲魂命 保食命 表筒男命 中筒男命 底筒男命
大己貴命 事代主命 健御名方命 武甕槌命 経津主命
田心姫命 市杵島姫命 湍津姫命 豊玉彦命 水分神 大山咋神
応神天皇 仲哀天皇 神功皇后

防府市惣社町にある。
防府天満宮の鳥居前の道を東へ、
国分寺の前を通過して、500m程。
もう少し東へ行くと、毛利邸がある。

道路脇に鳥居があり、階段を上ると開けた境内。
境内というより「空地」。木々もない裸の地だった。
台風かなにかの影響で、整地でもされてしまったのだろうか。
社殿後方には、苗木のようなものが植えられていた。

社殿は南面しており、境内から防府の町を一望できる。
向島にある錦山が、目の前にある。
当日は曇天の早朝。日によっては瀬戸内海も見えるはず。

元は、金切神社と呼ばれていたが、明治四十年、
勝間神社・八幡宮・日吉神社を合併し、佐波神社と改称した。

周防國総社は、金切神社のこと。
金切神社の創祀年代は不詳。
仲哀天皇が熊襲御親征のため筑紫へお下りになられた時、
崗県主が、周防国佐波浦にて、お迎えにになり
三種の宝物並びに魚塩の地を献じ、帰順の意を表した。
仲哀天皇は「是平定の兆祥なり」と喜ばれ、
賊軍退治の祈願のため、天照皇大神外十三柱の神を祀られたのが起源であるという。

当社の神紋に関して。
社殿の屋根に菊紋があり、当社の神紋だと判断したが、
『全国神社名鑑』には車輪紋とある。
また『山口県神社誌』には十六日足とある。

社殿屋根の
菊紋
『山口県神社名鑑』の
十六日足紋

鳥居

階段上の鳥居と社殿

境内社殿

拝殿

本殿

社殿から瀬戸内海方面、向島(錦山)

佐波神社の由来
一、御祭神 天照皇大神他二十三柱の神
一、御由緒 明治四十年六月四日金切神社、勝間神社、 八幡宮、日吉神社の四社を合併した 佐波神社と改称した。
金切神社 仲哀天皇が熊襲御親征のため筑紫に 行かれた時、同縣主このことを聞いて当周 防国佐波浦に参り迎えて三種の宝物 ならびに魚塩の地を献じて帰順の意を表わ したので天皇はこれを平定の吉兆であると 喜ばれ賊軍退治の御祈願の為、天照皇大神、 外十三柱の神を祀らせたのである。 周防の国の総社として古来代々の国司、藩 主をはじめ多くの人々の崇敬が厚かったのである。
勝間神社(俗称浜の宮)
景行天皇が熊襲御親征のため天皇御自 ら御西下の時、この地にて三女神を祀られたと伝えられている。
八幡宮 国衙に鎮座されていたから衙頭八幡と号した。 天平勝宝三年大和国手向山八幡宮の御 分霊勧請である。
日吉神社 旧号山王社元多々良椰原俊乗坊重源の勧請との伝えである。

−境内案内板より−



【 佐波神社 】

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