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式内社 出雲國出雲郡 御碕神社 旧國幣小社 「神の宮」 主祭神 素盞鳴尊 相殿 田心姫,瑞津姫,厳島姫 「日沈宮」 主祭神 天照大神 相殿 正哉吾勝尊,天穂日命,天津彦根,活津彦根命,熊野樟日命 |
島根県日御碕にある。
出雲大社から海岸沿いに西へ道なりに進む。
鳥居をくぐり、参道を曲がると、朱の神門が鮮やかだ。
神門をくぐって、正面に「日沈宮」。
右手階段の上に、「神の宮」が鎮座している。
上ノ本社「神の宮」祭神は素盞嗚尊とその娘達である三女神。
下ノ本社「日沈宮」祭神は天照大神とその息子達である五神。
素盞嗚尊が天照大神を見下ろしている構図になっている。
素盞嗚尊が「吾が神魂はこの葉の止まる所に住まん」と、
柏の葉を投げ、占ったところ、当社背後の丘に止まったという。
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日御碕神社 島根県簸川郡大社町日御碕。旧国幣小社(現、別表神社)。『出雲国風土記』記載の美佐岐社、『延喜式神名帳』の御碕神社が充てられる。当社は上下二社に分かれ、上の宮を神の宮、下の宮を日沈宮と称す。神の宮は素盞鳴尊を主祭神とし三柱の神を配祀する。社伝によれば、素盞鳴尊は出雲の国造後熊成峯に登り、鎮まる地を求め柏葉を風で占うと隠ケ丘に止まり、そこで御子天葺根命は御魂をその地で奉斎したという。隠ケ丘(古墳)は社殿の裏側にある。日沈宮はもと文(経)島に鎮座した。天葺根命が文島にいた時、天照大神が降臨し、「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅によって奉斎したのが始まりという。安寧天皇一三年勅命によって百枝松を神木として祀り、開化天皇二年勅命により神殿を造営し(『出雲国風土記』記載の百枝の槐の社がこれか)、天暦二年(九四八)現在地に遷座したという。鎌倉時代以降幕府の崇敬篤く、社殿の修造、戦国時代領主堀尾氏の七八○石余の寄進、江戸幕府の六○○石の朱印領安堵と社運盛んであった。神事・宝物が多く伝わり、春祭は神の宮、秋祭は日沈の宮中心の形態をとる。 例祭(神幸祭)は八月七日。タ日の祭のため神職が文島に渡る(このほかは誰も渡ることができない)。一月五日和布刈神事は宇竜港の権現島に鎮座する熊野神社(末社)の神事で、うみねこがワカメを社殿に運び、神職が供献したという故事により、この神事の後ワカメ取りが始まる。他に釿始祭(一月二日)、神剣奉天神事(一二月三一日)などが執行される。宝物は源頼朝寄進の白糸縅甲冑(国宝)藍韋縅腹巻・太刀一振・出雲日御碕社古絵図・日御碕神社社殿(寛永二一年<一六二五>建立、権現造り。以上重文)、『出雲国風土記』、日御崎神社造営勧進帳、種ケ鳥銃(以上県指定の文化財)のほか多数。祭神は出雲大神の父神に当り、出雲大社の奥の院・親神として、また伊勢神宮は昼を、当社は夜を守る神との信仰がある。 −『神社辞典』− |