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立虫神社 万九千神社
たちむしじんじゃ まんくせんじんじゃ
[島根旅行] 島根県出雲市斐川町併川字神立5258  Zenrin Data Com Maps display !!

立虫神社

二重亀甲に剣木瓜

万九千神社

二重亀甲に万の字

立虫神社
式内社 出雲國出雲郡 立虫神社
旧村社

御祭神
五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命

万九千神社
式内社 出雲國出雲郡 神代神社

御祭神
櫛御気奴命 大穴牟遅命 少彦名命 八百萬神

大穴牟遅命 須佐男命一名熊野加武呂之命 少名毘古那命 『社家記録』
素盞嗚尊 葦原醜男命 少彦名命 『寛延年間の棟札』
あしはらのしこを命 『出雲神社巡拝記』

斐伊川に懸かる神立橋(9号線)から300m程北。
田圃の真中に立つ神社だ。
鳥居の前に二本の石柱があり、二社が同一境内に祀られている。

境内には多くの末社がある。それぞれに石柱があり、わかりやすい。
こういう石柱は、地元の氏子のためではなく、観光客への配慮か。

一説には、
最初、この地の産土神として神代神社が主体であったが、
その後、洪水のため、神代神社境内に遷座していた立虫神社が、
神立大明神として独立。そこに、神代神社が相殿神になり、
やがて、神代神社は万九千神社と同一混同され、
ついに、神代神社は、宇屋神庭へ移ったという。

あるいは、昔は神立大明神と称しており、
もとは、現在地より南西700mほどの鎮座していたが
寛文年中、斐伊川の川床の変遷により、
神代神社の後継社・万九千神社の境内へ遷座した。

なんともややこしいのだが、現在は、
立虫神社が本社で、万九千神社が摂社。
立虫神社は、式内社・立虫神社であり、
万九千神社が、式内社・神代神社であるという。

万九千神社には本殿はなく、
拝殿後方に「神籬磐境」があり、石柱が立っている。
出雲神在月の最後に、全国から集まった神々が、
この社からそれぞれ帰っていく「神等去出」(カラサデ)の為の場所で、
ゆえに、この地を神立という。
神々がここへ神集い会議をしている間、この地方では歌舞音曲は厳禁で、
鈴の音のみが聞こえるという。
また、神立ちの夜は、特に静粛を保ち、外出もひかえている。

鳥居をくぐって正面に立虫神社。右手に万九千神社がある。
万九千神社には本殿は無く、神籬磐境に祭神名を記した石柱が立つ。
境内には、多くの境内社がある。
秋葉社、金刀比羅社、大社、旅伏社、才ノ上社、
大地主神、和田津見社、稲荷社、天照大神、馬繋荒神。


社域全景

立虫神社社号標

鳥居正面

万九千神社社号標

立虫神社拝殿

万九千神社拝殿

立虫神社本殿

万九千神社神籬磐境の石柱

馬繋荒神

秋葉社

金刀比羅社

大社

旅伏社

才ノ上社

大地主神

大地主神

和田津見社

稲荷社

天照大神

合祀記念石碑

立虫神社
 御祭神 五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命

延喜式 出雲風土記等所載の最も古い御社であります。
 三柱の御祭神は、父神の須佐之男命と共に、仁多郡馬上の 峯に天降られ、木種を四方に捲き殖えられた後、当地に下り 来りて鎮座なさり、植林、耕地の開発、建築等諸産業の 発展に努力されたという農村には誠に由緒の深い神々で あります。
 もともと当社は現在地より未申方七町余り隔てた所 (今の斐伊川中で神立橋のほぼ大津寄り)にご鎮座なさってい ましたが、寛文年中、斐伊川の川床の変遷により、万九千 神社の境内に転社されたものであります。
 さらに大正十五年、千家に鎮座の客神社を合祀。 客神社の創立年代不詳なるも、旧鎮座地の村名を千家村 (出雲大社領)といい、この社は千家国造崇敬の社であり、毎 年十一月大庭の神魂神社において、火継儀祭執行の際、千家 の里に宿泊所を設け、その折、この社に供物を奉げて祭事を 執行されたと伝えられています。
 例祭日 十月十日


万九千神社(式内神代神社)
 御祭神 櫛御気奴命大穴牟遅命少彦名命・八百萬神

当社は延喜式、出雲風土記等所載の古い御社であります。
 出雲では全国八百萬神が毎年旧暦十月十一日から七日間出雲 大社へ神集われ神在祭が執行されます。引きつづいて佐太神社にお いて神在祭が執行され、最後に当社に神集い、幽議をなされ、同月 二十六日には当神社より諸国の神社へ帰国の途におつきになります。 そこでこの意味において、当地方では、この日を神等去出(カラサデ)ともいい、当 社の鎮座地が神立という地名であることもこれに由来するといわれています。
 古来、旧暦十月を出雲国においては神在月と称し、当神社において も十七日より二十六日までを神在といい、日供を献じ、国家貞祥、宝 祚万歳、五穀豊穣、諸産業の繁栄を祈念しつつ二十六日の大祭日(神 等去出祭)を迎えるのであります。
 地元においては、この日の夜間は特に静粛を旨として、外出を慎しみ 静かに神々をお送りする風習が今も残っております。
 なお十七日より二十六日の間は、神々の会議を邪魔しないように と奉楽など歌舞音曲を一切厳禁してあり、僅かに鈴の音が聞こえ るのみであります。
 いずれにしても当社は、古代でいう出雲郡神戸里に属し、神奈備 山を、あおぎ見る位置にあることから斐伊川の恩恵を受け、実り 豊かな大地のもと、神々の交流の地として、その由来は極めて古い ことになると言えます。
 例大祭日 十一月二十六日(新暦)

−境内由緒−



最終更新日:2013/10/09
【 立虫神社 万九千神社 】

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