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小丹生神社
をにふじんじゃ
新潟県見附市熱田町字宮ノ浦541
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式内社 越後國古志郡 小丹生神社 |
見附市熱田町にある。東西に流れる刈谷田川の南の集落の中。
南面した境内だが、予想以上に広く深い。
参道も整備されており、早朝の参拝で、拝殿に蛍光灯も灯っていた。
近隣の信仰の深さを感じる。
拝殿の後ろに、少し間を置いて本殿がある。
というか、本殿が入っている小屋がある、というべきか。
拝殿右手には、神楽殿兼祓殿もある。
熱田にあるため、熱田明神とも称された神社で
式内社・小丹生神社の論社。
「小丹生」の社号からか、
埴安神や小丹生を祭神とした時期もあったが
現在の主祭神は、波多武日小命。
波多武日小命は大彦命の御子神で、
新羅の王女・天美明命を娶り、越の中ツ国に館を定め
小丹生の三官と称していたという。
小丹生の三官の後裔である古志連が、
祖神を小丹生ケ岡に祀ったのが当社の起源。
天喜年間(1053〜1058)、熱田ケ岡の現在地に遷座された。
明治四年村社に列した。
境内入口の社号標 | 参道 |
参道の鳥居 | 参道 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
『古證古記』によれば、祭神は大彦命の御子波
多武日子命、新羅国王女天美明命を娶り給ひ、漢高祖の裔
孫王仁公を召し従ひ、大和より来臨、越の中ツ国に館を定
め小丹生(ヲニフ)の三官(ミキミ)と称し、登千尾谷(栃尾谷)より賀摩原埼
(蒲原埼)猿橋迄を神領として治定された。三官薨去の後、
波多武日子、天美明命二神は越の川東金蔵山(長岡市妙見町
金倉山)三ツ嶺に鎮り、王仁公は古志の宮内ケ岡に鎮座し
一王神と称した。(長岡市宮内 高彦根神社) 小丹生三官の裔は、古志連となり、蒲原の小栗山に居住 したが、再び古居に館を構へた。これを三官の館と称し、 古志一円を治め、先祖の波多武日子命、天美明命の霊を奉 じ、須佐之男命と共に小丹生ケ岡に祀り、八束の御剣を神 器として奉斎した。天喜年間(一〇五三〜五八)熱田ケ岡に 遷り、永く土民の尊信をあつめ、社運の繁栄をみた。 明治四年、古柏崎県二十二大区八ケ村の村社となり、 後古志郡郷社の内となり、明治六年十一月、古志郡第十五 大区小六区二十一ケ村の村社となつた。 −『式内社調査報告』− |
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