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湯澤神社
ゆざわじんじゃ
長野県下高井郡野沢温泉村大字豊郷9310
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旧郷社 |
長野県の野沢温泉村にある。
飯山線の戸狩野沢温泉駅から東へ8Kmほどの豊郷に鎮座。
野沢温泉村役場から東へ入った突き当たりに境内がある。
道路の案内には「健命寺」とあるが、健命寺の西隣りに当社がある。
境内入口には白木の両部鳥居。
鳥居の右脇には「郷社湯澤神社」と刻まれた社号標があり、
その前に由緒書きの案内板がある。
鳥居をくぐり参道階段を上ると社殿。
参道脇には立派な木々が聳えている。
拝殿は入母屋造。元は萱葺だった雰囲気。
拝殿の後方に本殿があるが覆屋の中になるようだ。
参拝は2011年4月の始め。
周囲の道路には雪はなかったが、境内には多くの雪が残っている季節。
東日本大震災に続いて発生した長野県北部地震で被害を受けた
栄村を訪問した帰りに寄ってみた。
当社では境内隅の灯籠が倒れていた程度で大きな被害はなかったようだ。
境内右奥に二階建ての神輿殿。
その奥に立派な建物があるが、そこはもう健命寺境内になっているようだ。
創祀年代や由緒は不詳。
野沢温泉の産土神・総鎮守として崇敬された神社。
隣接する健命寺の本尊は薬師如来。
各地の温泉の鎮守は薬師とともに祀られることが多い。
温泉効能が薬として知られ、薬師と連携したということだろう。
であれば、本来は温泉の神、あるいは薬の神である少彦名命などが祭神だったと思う。
寛文三年(1663)火災により焼失し、
元禄二年(1689)および明和二年(1765)に再建された。
寛政七年(1795)八月、吉田家の許可を得て湯澤神社と称したようだが、
もとは何と呼ばれていたのだろうか。調査不足で未確認。
明治六年四月郷社に列した。
毎年、九月八・九日に江戸時代から続く「燈籠祭り」が開催される。
社頭 |
鳥居 | 参道階段 |
社殿 |
拝殿向拝の彫刻 |
神輿殿 | 本殿 |
社殿 |
湯沢神社
湯沢神社は旧く「湯山〜湯沢」と呼称された
野沢温泉の総鎮守です。創建の年代ははっきりしませんが、諏訪信仰 の祖神建御名方神(タケミナカタノカミ)を 祭神とし、現在の社殿は明和二年(一七六五 年)頃の造営と伝えられています。拝殿の扁 額は明治の元勲三条実美公の揮毫に成り、建 築や組物、彫刻はその作風から江戸時代中期 この地方で活躍した越後の工匠岩崎嘉一とそ の一門の作と推定されています。建築当初の 様式をよく伝えていることなどから、村有形 文化財に指定されています。 −よく読めない箇所があったため由緒板より抜粋− |
当社の東隣りには「薬王山健命寺」。
湯澤神社鳥居の前を東へ進むと六地蔵が並んでいる。
健命寺は、天正十二年(1584)僧南室正舜の開基による曹洞宗の古刹。
本尊は伝聖徳太子作の薬師如来像だそうだ。
というより、当寺は野沢菜発祥の地として有名だ。
当寺八代住職晃天園瑞が宝暦六年(1756)、京都遊学のおり、天王寺蕪の種を買い求め、
当地で蒔いたところ葉と茎が異常に伸びて野沢菜となったという。
六地蔵 | 健命寺参道 |
薬王山健命寺 | 薬王山健命寺 |
健命寺の右下には温泉薬師堂。
三五〇年前、飯山藩主松平遠江守が寄進したが、昭和七年火災により焼失し、昭和二十八年再建。
堂内に薬師如来本尊と脇侍、十二神将像が安置されているらしい。
温泉薬師堂 |