[HOME] > [神社記憶] > [甲信越地方] > |
|
船形神社
ふながたじんじゃ
山梨県甲斐市亀沢3686
|
|
式外社 船形神 三代実録 (参考) |
山梨県甲斐市にある。
中央本線竜王駅から北へ6Kmほどの亀沢に鎮座。
亀沢川に沿って走る101号線の西側に境内がある。
101号線を挟んだ向かい側に「亀沢の船石」と呼ばれる大きな岩がある。
当社の社号「船形」の由来となった岩らしい。
案内板によると周囲55メートル、高さ8.3メートルとあるので、
道路から見えているのは岩の頂上部、あるいは船の舳先にあたる部分だけなのだろう。
船石の横に消防用のポンプ庫と火の見櫓があるのだが、ちょうど戦艦の機関部のようで面白い。
亀沢川対岸から見ると、全貌が見えるかもしれないが。
昔、土石流か火砕流で上流から運ばれてきたものと考えられているらしいが、
形状は滑り台のような三角形。上部には長田智康という方の顕彰碑が建てられていた。
亀沢の船石 |
甲斐市指定天然記念物 亀沢の船石
所在地 甲斐市亀沢三六八五
亀沢川の河岸段丘上に位置しており、周囲約
五五メートル、高さ八・三メートルの花崗岩の
大岩塊で、土石流か火砕流によって上流部から
運ばれてきたものと考えられています。指定年月日 昭和四八年四月一日 江戸時代後半に編纂さえれた『甲斐国志』にも 記載があり、近くの船形神社(諏訪大明神)の 社名の由来になったといわれています。 −説明文より− |
亀沢の船石の向かいに、東向きに境内入口があり、石鳥居が建っている。
鳥居の扁額には「諏訪大明神」とあり、当社は諏訪大明神とも称される神社。
鳥居をくぐり参道階段の上ると神門。
神門をくぐると境内だが、境内社殿は南向き。
境内には横から入る形の神社。境内の南側には市役所の出張所がある。
神門をくぐって振り向くと、神門の脇に大きな岩があるが、
前面の苔が剥がれて人物の形が浮き上がって見えて、ちょっとビックリ。
登ってみたい衝動を抑えながら参拝開始。
拝殿は切妻造平入りで、後方には銅板葺流造の本殿がある。
参拝は四月後半の午後、夕方近く。
暗くなるまで境内に座っていようかとも思ったが、
お腹がすいてきたので甲府へ向かった。
『山梨県神社誌』によると、霊亀元年(715)九月十五日の創祀。
文徳天皇仁寿元年(851)甲斐守小野朝臣貞村社殿を造営。
後冷泉天皇康平七年(1064)新羅三郎義光朝臣が再建し、
その後、武田家代々の造営修理を受けたとある古社。
慶長年中、徳川家より社領高一石九斗余の朱印を受けた。
山梨県には船形神社という名の神社が幾つかあり、古社も多い。
その中で、『三代実録』元慶八年(884)十二月十六日に、
「甲斐国正六位上船形神従五位下」とある国史見在社と考えられているのは、
高根町長澤の社と高根町小池の社らしく、当社が船形神であるという説は
残念ながら、手持ちの資料の中には見当たらないのだが、
由緒や船石の存在から、あるいは当社もその候補なのではないかと思って参拝してみた。
当社は諏訪大明神とも称され、祭神は建御名方命。
ただし『甲斐国社記・寺記』には、「所祭」として、
国狭槌尊、豊斟渟尊、泥煮尊、沙煮尊、大戸道尊、大苫辺尊、面足尊、惶根尊、
天八降産尊、天三降産命、天合産尊、天八百日産尊、天八十万日産尊、句句廼馳命、
軻句突知命、埴安命、金山彦命、罔象女命などの記載がある。
上流から土石流(火砕流)によって流れついた大岩に
天地開闢の神々や火山に付随する火・土・水などの自然神を祀ったのが
船形神の本来の姿なのかもしれない。
社頭 |
鳥居 | 参道 |
境内 |
社殿 | 神門脇にも大石 |
拝殿 | 本殿 |