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美和神社
みわじんじゃ
長野県長野市大字三輪字相木東514
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式内社 信濃國水内郡 美和神社 |
長野県長野市にある。
長野電鉄・本郷駅の西に、南向きの境内。
境内に入ると、三輪鳥居。
鳥居の右手に巨木が聳え、左手に手水舎がある。
境内の中央に石の参道が延び、
正面に大きな拝殿がある。
街中にある神社だが、境内は清浄。
巨木も何本かあって、気持のよい空間。
参拝は5月の早朝。朝日の出た頃。
境内の奥(北西隅)に、石祠がズラッと並んでいる。
いわゆる「境内百末社」と言われる石祠群だが、
実際に100あるのかどうか数えていないのでわからない。
明治時代には六十末社と呼ばれていたようで
徐々に増えており、『式内社調査報告』には九十二座とあるのだが
その後、増えて100社になっている可能性もある。
時間がある方は、数えてみると面白いかも。
創祀年代は不祥。
式内社・美和神社に比定されている古社。
「三代実録」の記事に
貞観八年(866)二月七日、水内郡の三和・神部の両神が怒って
兵乱や病気を流行らせると伝えられ
朝廷では国司や講師に命じて、
金剛般若経千巻や般若心経万巻を転読させて
神の怒りを鎮めたとあり、
元慶四年(880)に従四位下を叙されている。
また、相殿の國業比賣神も
貞観三年(861)二月七日には、三輪神同様、従五位下を叙されており
こちらも有名な神だったようだ。
境内百末社石祠群の中央に、
立派な鳥居と覆屋を持つ青麻神社の石祠がある。
明治時代に勧請された神社で
中風除けの神らしい。
社頭 |
三輪鳥居 |
拝殿左の木の根元に祠 | 境内社 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
境内百末社の石祠群 |
青麻神社 | 青麻神社石祠 |
”心のふるさと 美和神社”
−境内案内板− 青麻神社起因
奥州に御本社ある青麻神社は
古来より中風病退除、家内安全の
守神として其霊験あらたかな事世
に広く知られ信仰する患者は必ず
快方に向うと言われ、健康な人々は
中風を除けんと全国より参詣する者
多くあると云う。たまたま明治年間、大須賀忠右衛門 と云う方が中風にかかりなかなか快方 に向かわず思案していた所 知人の 話に青麻神社を信仰すれば良い とすすめられ、一心に信仰いたしま したところ病気もだんだん快方に 向いつつあった。 折も折、美和神社境内に六十末社 を建設するという話が持ち上がった ので、忠右衛門氏も青麻神社を勧誘 して美和神社境内にお社を建立し 請願したところ中風も全快したので ある。 以来当青麻神社は近辺に稀な 中風病退除、家内安全の守神とし て日々参詣があり近隣は申すに及 ばず、遠方は越後方面より参詣に 来られる者も多数ある様になった。 −境内案内板− |
【 美和神社 (長野市) 】