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穗高神社 本宮
ほたかじんじゃ ほんぐう
長野県安曇野市穂高6079
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式内社 信濃國安曇郡 穂高神社 名神大 |
長野県安曇野市(旧穂高町)にある。
穂高駅の東すぐの場所に、東向きに鎮座。
境内の北側に大駐車場があり、大きな鳥居が立っている。
表参道は東側。
参道の鳥居をくぐると、かなり広い境内。
左手に社務所があり、直進すると、もう一つの鳥居。
境内中央に神楽殿が立ち、右手には若宮社を中心とした末社群。
神楽殿の後方に左右に長い拝殿。
拝殿の奥、垣に囲まれて三棟の本殿が並んで立っている。
三棟の大きさは、ほぼ同じだが、中央の社殿のみ「穂高造」とよばれる様式。
「穂高造」は、基本は流造だが、屋根の勝男木が特徴的。
一般の勝男木は、屋根の嶺に直角に並んでいるが、
「穂高造」では、二本の勝男木が中央から左右の千木に斜めに立てかけられている。
一説には、釣り竿や船の櫓を水辺で立てかけた形。
海神を祀る神社には相応しい様式。
創祀年代は不詳。
社伝によると、神代の昔、
人跡未踏の穂高岳に、祭神・穗高見神が降臨し、
重畳なる中部山岳を開発。
さらに梓川流域の安曇筑摩地方を開拓したという。
当地の豪族、安曇氏が祖神を祀った神社であり、
上下の崇敬を集めた古社。
本殿の三棟に祀られている神々は、
中央穂高造に穗高見神、右に綿津見神、左に瓊々杵尊。
穂高神社は、当地の本宮と、上高地明神池にある奥宮、
さらに、奥穂高岳山頂にある嶺宮の三社だが、
祭祀の中心は、当社・本宮。
本殿三棟の右手には、別宮・神明社(天照大御神)。
表参道の鳥居 | 境内入口 | 北駐車場の鳥居 |
境内 |
神楽殿 | 拝殿 |
本殿三棟、中央が「穂高造」 |
穂高造の勝男木 | 本殿右に別宮神明社 |
若宮社を中心とする末社群は以下の通り。向って左から、
八坂社(素盞嗚尊)、事比羅社(大物主神)、
子安社(木花開耶比売命)、保食社(宇気母智命)、
四神社(少名彦名命 八意思兼命 誉田別尊 蛭子神 猿田比古命)。
中心に、摂社・若宮社(阿曇比羅夫、信濃中将)。
さらに、疫神社(素盞嗚尊)、秋葉社(軻遇突智命)、
八幡社(誉田別尊)、鹿島社(武甕槌命)。
若宮社に祀られている阿曇比羅夫は、
祭神・穗高見神の後裔であり、安曇氏中興の偉人。
若宮社の相殿に祀られている信濃中将は、
ものぐさ太郎として有名な人物。
ものぐさだった若者(実は仁明天皇の孫だったという)が
文徳天皇の御宇、甲斐・信濃の国司として国を治め
穂高神社を造営したという。
境内の北側、駐車場のそばには、菅原社を中心とした末社。
八王子社(五男三女神)、菅原社(菅原道真公)、歌神社(柿本人麻呂公)。
若宮を中心とした境内社末社 | 八王子社、菅原社、歌神社 |
ズラッと並んだ道祖神 |
拝殿横の御神木・孝養杉 | 阿曇比羅夫之像 | 若宮そばの欅 |
境内に「日光泉小太郎」の像がある。
昔、安曇の平が湖だった頃、安曇の犀龍が住んでいた。
東の高梨には白龍王が住んでおり、犀龍と白龍王の間に男の子が生まれた。
日光泉小太郎と名付けられた男の子が成長するにつれ
母である犀龍は、自分の姿が恥ずかしく、湖に姿を隠した。
小太郎は、恋しい母を訪ね歩き、ようやく再会。
母の犀龍は「自分は諏訪大明神の化身」であると告げ、
小太郎を背に乗せて、岩を突き破りながら日本海まで突進。
そのおかげで湖の水が流れ出て、安曇が平野になったという。
犀龍が進んで出来た川を犀川という。
日光泉小太郎像 |
穂高神社本宮由緒
安曇族の祖神穂高見命は、海神綿津見神の御子神で、
太古穂高岳に天降りましたと伝えられている。安曇族は
海神系の宗族として遠く北九州に栄え、信濃の開発に功を
樹て、安曇野の中心穂高の里に祖神を奉斎したのが、当
神社の創始である。
−境内案内板− 阿曇比羅夫之像
解説大将軍大錦中阿曇連比羅夫は、 天智元年(662年)天智天皇の命を受け、船師 170艘を率いて百済の王子豊璋を百済に護送、 救援し王位に即かす。天智2年、新羅・唐の 連合軍と戦うも白村江(朝鮮半島の錦江)で破 れ、8月申戌27日戦死する。 9月27日の例祭(御船祭)の起因であり、 阿曇氏の英雄として若宮社に祀られ、英智の 神と称えられている。 伝統芸術である穂高人形飾物は、阿曇比羅夫 と一族の勇姿を形どったものに始まると伝え られる。 −境内石碑より− |