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多々神社
ただじんじゃ
新潟県柏崎市大字曽地1325
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柏崎市のはずれ、刈羽村の近く、8号線の南、曽地の集落内にある。
最初、「曽地新田」という地名を見つけ、周囲を歩き回っていたが、
見当たらず、地元の方に聞くと、「曽地は、もっと東」だとのこと。
数人の方に道を聞きながら到着した。
拝殿は、サッシで覆われ、後ろの本殿もコンクリートの覆屋で見えない。
本殿は室町期の重要文化財らしいが、残念だった。
ということで、神紋は確認できず。
式内社・多多神社の論社だが、
延喜式の写本によっては「多岐神社」とある。
社伝によると、大同元年(806)藤原朝臣人道浄眼により造営。
文明年間(1469〜1486)兵火にかかり古記録等を失い、
由緒不詳となった。
当社は、大海の神六柱を合斎して六所権現と称していた。
近郷の総社的神社だったようだ。
参道入口に社号標と観光案内板がある。
室町時代の本殿は重要文化財らしいが、覆殿のため撮影できず、
仕方がないので、案内板の写真を掲載。
参道と社号標 | 参道鳥居 |
境内 |
社殿 | 拝殿 |
本殿のコンクリートの覆屋 | 案内板の本殿写真 |
拝殿扁額 | 多くの石祠 |
国指定文化財 有形文化財・建造物 多多神社本殿一棟 多多神社は、大同元年(806)の創立と伝え られているが、現在の本殿は棟札によって永 正16年(1519)に建てられたことが分かっ ている。度々修理がなされ、一部改変されて いたが、昭和52年に解体修理で、元に戻した。 流れ造りの間口一間ほどの板葺き屋根の小 さな社殿は、覆屋で保護されてきたため、創 建当時の姿をよくとどめており、室町時代中 期の神社建築の特徴をよく示している。向拝 柱、方位や脇障子柱の大きな面、かえる股や 木鼻のデザイン、海老虹梁の形などに時代の 特色がよく見られる。 −境内案内より− 『越後野史』に多岐神社を「刈羽郡多岐郷長橋 荘曽地村ニ在、今所祭六社明神」といふ。 −『式内社調査報告』− |
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