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弓崎神社
ゆみさきじんじゃ
長野県上田市大字小泉字八幡山1311−イ
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旧郷社 |
長野県上田市にある。
上田駅の西6Kmほどの小泉に鎮座。
城山(933m)の南東麓、浦野川のほとりに境内がある。
境内は南東向き。
浦野川沿いの道路に面しているが、山を背にしているのだろう。
境内入口に鳥居が立っており、扁額には「弓崎神社」。
鳥居をくぐると、斜面を利用した境内。
階段上に神楽殿のような瓦葺の拝殿がある。
拝殿の奥には幣殿。幣殿の左手には神饌殿が廊下で繋がっている。
幣殿の後方に、垣に囲まれて流造の本殿がある。
創祀年代不詳。
『小縣郡史』によると、奥州の賊に対する防衛として
朝廷より派遣された官人が、鎮守の神として八幡宮を勧請した古社。
その官人は藤原勝海の苗裔である出浦某とあるが、
坂城町に居城した村上氏の一族である出浦氏の祖だろうか。
古歌に、
当地周辺は出浦の里と呼ばれていたらしい。
應永十八年(1411)八月弓立山(弓楯山)の頂から、
その支峯である弓崎山に遷座したらしい。
現在の境内は、弓崎山の麓にあたるのだろうか。
明治六年(1873)郷社に列し、明治四十五年(1912)、
伊勢社・天白社・神明社・蠶祖社・若宮社・飯綱社・古明神社・泉神社を合祀した。
八幡神を祀るためか、社殿には八幡の代表紋である三つ巴が付けられている。
境内の左手に石祠が祀られているが詳細は不明。
拝殿内に、奥宮の写真が飾られていた。
境内後方の弓崎山に奥宮が祀られているのだろう。
あるいは、奥宮が当社本来の場所なのかもしれない。
当社境内の右手に、独自の参道を持つ泉田招魂社がある。
当社とは別の神社らしいが住所は当社と同じようだ。
弓崎神社社頭 |
弓崎神社境内 |
拝殿 | 拝殿から幣殿 |
社殿 |
神饌殿 | 幣殿 |
弓崎神社本殿 |
境内社の石祠 | 弓崎神社隣りに招魂社 |
弓崎神社
泉田村大字小泉、八幡山にあり。祭神は譽田別尊・息長足姫尊・王依姫命。祭日、十月一日。創建年代評な
らず。ロ碑に奥州の賊屡々叛して止む時なければ、朝廷より鎭撫の官人を置き、其鎭守として八幡宮を勧請
す。時に藤原勝海の苗裔出浦某長官たり。應永十八年八月弓立山又弓楯山の頂にありし社殿を其山の一支峯弓崎
山に本遷す。今尚當時建造の棟札を蔵す。安永三年三月吉田家よりの文書に舊稱に遵ひ、弓崎神社八幡宮と
稱すべきこと見ゆ。明治六年四月郷社に列す。同四十一年十月二十七日會計法適用指定。同四十五年七月伊
勢神社・天白社・神明社・蠶祖社・若宮社・飯綱社・古明神社・泉神社を合併す。古歌を傅ふ。本殿・拝殿・清殿・神饌殿・幣帛殿・鳥居を具備し、境内二千十六坪。氏子二百二十三戸。 −『小縣郡史』− |
弓崎神社から浦野川に沿って北東へ700mほどの位置に
旧村社・弓立神社が鎮座している。
長野県上田市大字築地字浦ノ山968
詳細な由緒は確認できていないが、
天照皇大神、應神天皇、十二大神を祀っている。
社号から弓立山の神を祀っているのだろうと想像できるが、
弓崎神社と関係があるのだろう。
ひょっとすると弓崎神社と元は一つだったのかもしれない。
境内の左手に階段があり、階段の上には石祠が三つ祀られている。
中央の新しい祠には、金毘羅大権現と名前があった。
『小縣郡史』には、境内社として蠶影社の名が載っている。
社殿の屋根には立梶の葉の紋が付けられていた。
諏訪社とも関連があったのかもしれない。
弓立神社社頭 |
社殿 | 本殿は覆いの中 |
拝殿 | 流造本殿 |
境内 |
石祠 | 金毘羅大権現 | 石祠 |
弓立神社
川邊村大字築地字浦之山にあり。万延元年三月弓立神社と吉田家より改稱許可。祭神は天照大御神、合殿に
應神天皇・十二大神。創立年月詳ならず。舊築地村の産土神たり、明和三年再建、境内社に蠶影社あり、明治
六年四月村社に列す。
−『小縣郡史』− |