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小坂神社
おさかじんじゃ
長野県須坂市大字井上字小坂2578
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長野県須坂市にある。
長野電鉄・井上駅の南東約1Kmにある小坂に鎮座。
どこをどのように走ってきたか、あまり記憶にないのだが、
とにかく山を目指して走っていると、
白い大きな鳥居が目に付いたので、
鳥居をくぐり、真っ直ぐに走って来たことは覚えている。
境内は山(大洞山)の麓にあり、境内は山(南)を向いている。
参道の大鳥居は、比較的新しい、シンプルなものだったが、
境内入口の鳥居は、年代を感じさせる渋め。
(実際の年代は、知らない)
鳥居をくぐり、境内に入ると、
木々の林に囲まれた、深遠な空間。
森林浴の森とは、ちょっと空気というか雰囲気が違う。
肺ではなく、皮膚で呼吸するイメージ。
(ちなみに、僕は神社浴と呼んでいる)
(一般的に、そう呼ぶかどうかは知らない)
土俵に掛けられたブルーシートが残念だが。
境内中央に、社殿があり後方に流造の本殿がある。
創祀年代は不詳。
祭神の小坂神は、鴨族の祖神・高角身命と考えられている。
日本書紀の神武紀に、男坂・墨坂・女坂という地名が登場するが、
当社の近くには、墨坂神社・小内神社という式内社が存在し、
同じく式内社である当社を、その男坂(=小坂)に充てた説。
つまり当社は、大和国の宇陀郡男坂神を勧請して誕生した神社という。
あるいは、社号小坂は、単なる地形からとられたものと考え、
古代、当地を開拓した氏族が、その祖神を祀ったもので、
単純に小坂神とする説もある。
当社の近くに金口という古代の住居遺跡があり、
石器や土師器などの出土が多いらしい。
中世になり、井上氏(信濃源氏の祖)が
当社の隣りに居館を構え、源氏の氏神である八幡を勧請したため、
中世以降は、八幡宮と称されるようになった。
鳥居や社殿の屋根には、三つ巴の紋が付けられていた。
八幡宮を勧請した神社なので、神紋は三つ巴で正しいのだろう。
ただし、屋根の紋と、拝殿の幕に染められた紋では
左右、向きが異なっている。三つ巴の向きは問題ないのかもしれない。
また、幕には桐紋も染められていた。
当社は、小坂神と八幡宮を祀る神社なので、
ひょっとすると、小坂神としては桐紋なのかもしれない。
あるいは、神紋は両社で区別していないかもしれない。
あるいは、まったく無関係な桐紋なのかもしれない。
当社境内には、三つの祠らしきものがある。
「らしき」とは、一つは倉のようにも見えるから、
断言できないのだ。
『平成祀データ』には、以下の二社が記載されている。
弥栄社(素戔嗚命)、神農宮(神農)。
神農宮というのは、ちょっと珍しくて面白い。
素盞嗚尊=神農という説もあるのだが。
ただし、これらの創祀は大正時代らしい。
参道の大鳥居 | 境内入口 |
境内 |
本殿 | 社殿 |
本殿後方の境内社 | 本殿後方から |
境内 |
境内から、参道と境内社 |
小坂神社 八幡宮 由緒
当社は、十世紀の延喜式に
載せられている名神です
祭神は、古代この地方一
帯を開発した氏族
の祖神 または
勧請神と考えられま
す 十一世紀後半清和
源氏井上氏がこの
地に入国して 当社
後方に居館を営ん
だ時 源氏の氏神
八幡神を当社に祀り
ました高井郡式内社六社の中で 社名と社地が確定して いるのは 当社だけです 鎌倉時代の史料の中に地名 小坂が現われるからです 境内は北信平地特有 の ケヤキ の純林で 市指定天然記念林です 旧県社 祭日は 祈年祭 四月二十九日 例大祭 十月十日 −境内案内板− |