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諏訪大神社
すわだいじんじゃ
山梨県甲斐市宇津谷1016
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式内社 甲斐國巨麻郡 倭文神社 |
山梨県甲斐市(旧双葉町)にある。
塩崎駅の北西1Kmほど。線路沿いの辛うじて車が通れる道に面して鎮座している。
春の参拝で、鳥居の前には桜の木が一本。
鳥居の後に神門があり、境内はちよっと広い。
社殿の後方が、なだらかに登っており、本殿が鎮座。
御神体の一尺五寸の石神に「倭文神社」、
その裏に、「大同二年」とあるそうで、
日本武尊による創建と伝えられている。
『式内社調査報告』では、その刻印を疑っているが、
式内・倭文神社の論社のひとつである。
武田信玄の崇敬が篤かったようで、
社殿の屋根には、武田菱の紋が付いていた。
別名、十五所明神。正式名称は、穂坂惣社拾五社大明神宇津之谷諏訪大神社。
穂坂地域の惣社で、武田信玄によって諏訪神が祀られたという。
道路が狭いので、一見、狭い境内を予想したが、
社殿も大きく、立派な神社。
ただ、少し荒れた印象を拭えないのは仕方がないか。
鳥居 | 神門 |
境内 |
本殿 | 境内と社殿 |
宇津之谷諏訪神社由緒
正しくは、穂坂惣社拾五社大明神宇津之谷諏訪
大神社と謂う。第十二代景行天皇御名を大足彦忍代別尊と言い第三 皇子小碓命又の名倭億久名命が倭建命と言われ三 世紀末から四世紀始めにかけて、大和朝廷のために名を馳せ活やく 甲斐に入り、甲斐国志による、北山・武川・逸見の賊 を平定して、宇津之宮村藤塚一〇一六番地に賊徒の再 び起らぬよう平穏を祷り倭文神社に伊弉諾大神・ 伊弉冊大神・天照皇大神・月読媛大神・ 素戔嗚大神を併せ祀ったのが始まりで、藤塚の西南 の地に吉備彦命・大伴武日命と警護の兵を共 に、一時期すごしたであろう所を初在家(現初座池)と 稱し地名として今に残っている。奥殿に祀られている 石神倭文神社のうらに大同二年(八〇七)とあり建保 五年(一二一七)御脩複と元亀二年(一五一七)武田信玄公 再建の棟札と頭椎の剣など御神宝の数々と天正十年 三月(一五八三)織田・徳川連合軍の攻撃を予知して逸早く いづこかに秘匿して、今に残る建保・元亀の棟札はまことに 貴重である。又武田信玄公が元亀二年再建のとき武田家の守 護神、諏訪大明神と庄内の神々を併せ祀りこの時拾五社大 明神と奏され尚信玄公より下された御朱印状が今は行方不明である。 御朱印社領壹石九斗余、社地五千四百六十坪と慶長八年癸 卯三月朔日(一六〇三)家光・慶安二年十一月十七日(一六四九)及び貞 享二年六月十一日(一六八五)綱吉・享保三年七月十一日(一七一八)吉宗 そのほか延享四年(一七一四)宝暦十二年(一七六二)天明八年(一七八八) 天保十年(一八三九)安政二年(一八五五)万延元年(一八六〇)と数多 くの徳川幕府より社領安堵の御朱印状が下されている。 茲に注目したいのは、日本武命が當社を草創したのは四世紀初頭で あり平成四年の現在、創建より実に一五九〇余年の歴史を有する 貴い古社である。 −拝殿内案内板− |
【 諏訪大神社 (甲斐市) 】