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高杜神社
たかもりじんじゃ
長野県上高井郡高山村大字高井字大宮南2040
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式内社 信濃國高井郡 高社神社 |
長野県の高山村にある。
長野電鉄・須坂駅の東5Kmほどの高井に鎮座。
54号線を東へ4.5Kmほど進み南へ200mほど下った場所に、
道路に面して西向きの鳥居が立っており、
鳥居の左前に「延喜式内高杜神社」と刻まれた社号標がある。
鳥居をくぐり参道を進むが、
当社の参道は200mほどもある緩い上り坂で、120本の杉並木。
高山村の景観重要樹木に指定されているらしい。
杉並木の終点、境内の前に車道が横切っているので、
車での参拝ではこの参道を通る必要はないようだが、
せっかくなのでゆっくりと時間をかけて歩く。
社殿のある境内は林の奥。
参道を進むと、神門のような拝殿のような建物があるが、たぶんこれは神楽殿。
神楽殿の奥は、緑の広場のような境内で、
境内の奥に、社殿がある。
現在の社殿は、天明二年(1782)高井の名工、亀原和太四郎の作。
それ以前の社殿は大同元年(806)建造のものだったが、
用材が朽ちたため建て直されたという。
社殿の右前、社殿から見ると左前に御柱が一つ。
信州の神社では、このように一本の御柱を立てている神社が多い。
四方に御柱を立てた場合、この左前が一之御柱の位置なのだろう。
創祀年代は不詳。
社伝によると、祭神・高毛利神は、建御名方命の第八子で、
高位縣(高井郡の古称)の開拓の祖、総領の神であり、
その子孫が代々、高位縣主の職を継いでいたという。
式内社・高杜神社の論社の一つ。
天正十七年(1589)武田上杉両家の戦争和睦となり、
当地の領主・須田相模守満親父子が越後から帰城し、
本領安堵の祝賀として大鷹一双を当社へ献上。
よえに、当社裏手の山林を鷹放という。
元和五年(1619)、福島正則が当地に移封された後、
しばしば当社にて祈願をした。
明治六年四月郷社に列す。
社殿の屋根に梶の葉紋が付けられていたが、当社の神紋かどうかは未確認。
とりあえず載せておく。
社殿の右奥に境内社の祠が一つ。
左奥にも境内社の祠と石祠が並んでいる。
『平成祭データ』には、境内社として神明社(天照大御神)と秋葉社(火産命)の名があるが、
左の祠が神明造、右が流造なので、左が神明社なのだろうと思う。
社頭 |
200m、120本の杉並木 |
神楽殿か? | 境内 |
境内 |
社殿 | 扁額 |
神明社か? | 秋葉社か? |
延喜式内 高杜神社
高杜神社の祭神は建御名方富命と多加毛利命である五穀豊穣・家内安全を初め、風を鎮め・火を守るなどの 御利益もあります 明治四十年代に村内十余の神々も合祀され学問の 神様(菅原道真公)も祀ってあります 尚この神社の建築は高井の名工、亀原和太四郎の 作(天明二年)で特色ある建物、彫刻であります 参道の樹齢三百年といわれる杉並木は善光寺平 随一といわれている
−境内案内板− |