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戸隠神社 中社
とがくしじんじゃ ちゅうしゃ
長野県長野市戸隠
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旧國幣小社 |
戸隠神社宝光社に向かい突き当たりを右(東)へ進むと、
約2Kmで中社へ到着する。周囲には旅館や土産物屋もありわかりやすい。
戸隠神社は、ここ中社と、
宝光社、奥社、九頭龍社、日之御子社の五社で構成されている。
九頭龍社は奥社の横に、日之御子社は中社と宝光社の中間にある。
通常は、奥社、中社、宝光社で戸隠三社と呼ばれている。
まず奥社が創建され、続いて宝光社が創建されたが、
宝治元年(一〇八七)に時の別当が
「当山は三院たるべし」
という夢告を受け、両社の中間に中社が創建された。
また天福元年(一二三三)飯縄大明神が住職に託して
「吾は日本第三の天狗である。当山の鎮守となろう」
と告げられた。
石段上の境内に大杉がある。また、石段下左右にも大杉がある。
この三本はほぼ正三角形に位置しているが、
この三本杉に、八百比丘尼の伝説がある。
若狭国小浜の漁師が人魚を殺し、誤ってその肉を三人の子に食わせたところ
三人とも人魚になってしまった。漁師はその罪を悔い、戸隠山に籠もり
ここの杉の木三本を植えたという。
神仏習合の時代には、中社を中院、あるいは富岡院と呼び、
本地は釈迦牟尼仏であった。
当時は、天台派と真言派の確執があり、
応仁二年(一四六八)、天台派の指導者・宣澄が真言派に暗殺された。
その後、宣澄の怨霊により真言派は、山内から退転した。
現在、中社には二十一の宿坊(社家)があり、
戸隠講の御師として各地を巡回している。
入母屋造の社殿は、たびたびの火災で類焼し、現在のものは昭和三十一年のもの。
社頭 |
参道階段 | 社殿 |
社殿 |
境内の大杉 | 鎌卍の紋の提灯 | 日枝社 |
−境内案内− |
【 戸隠神社 中社 】