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沙田神社
いさごだじんじゃ
長野県松本市島立区三ノ宮字式内3316
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長野県松本市にある。
松本電鉄大庭駅の南1Km。奈良井川の西岸。
川の土手そばに大鳥居が立ち、参道が西へ延びている。
燈籠の並ぶ参道の先には、こんもりと茂った杜。
境内は褐色の世界。
社殿の前には、神楽殿のような御仮殿。
周囲には四本の御柱。
信州三ノ宮。産の宮とも称される神社。
主神は彦火火見尊、右相殿に豊玉姫命、左相殿に沙土煮命を祀る。
社伝によれば、孝徳天皇の御宇大化五年六月二十八日、
国司が勅命により勧請したという。
大同年間、坂上田村麿による有明山の妖賊退治の際に、
本社の神力によるものとして社殿を造営。
一説に、往古は当社の西11.25Kmにある鷺沢嶽
(松本市波田町鷺沢)に鎮座していたといい、
奥社が存在する。
その山には、斎殿石という大岩があるという。
毎年の例祭には、この山の萱を刈り取って仮殿を築き、
萱穂・柳葉66本を、六十余州に見立て、
御手祀として邪神を鎮め平らげる神事が行われる。
社殿の左には、御子安神社などの境内社が並び、
境内に右手、覆屋の中にも境内社。
こちらは周囲の神社が合祀されたもののようだ。
また、社殿右側に、御手洗の池と書かれた池の跡も。
参道入口の大鳥居 | 参道の鳥居 |
参道 | 参道 |
境内 |
御仮殿 | 拝殿 |
本殿 | 本殿 |
一之御柱 | 二之御柱 | 三之御柱 | 四之御柱 |
神明、熊野、石尊、秋葉、火雷など | 境内社 |
御子安神社を中心とした境内社 |
御神木 | 御手洗の池 |
信州三之宮式内 沙田神社略記
孝徳天皇の御宇大化五年六月二十八日この国の国司勅命を奉じ初めて勧請し 幣帛を捧げて以って祭祀す 其の後大同年間坂上田村麿将軍有明山妖 賊征伐にあたり本社の御神力の効する所なりとて国司と謀り社殿を造営する 降って文徳天皇の仁寿元年勅評を蒙り社の造営あり同三年二条大納言 有季を勅使として神位を賜る 其の後元享正中の交天下大いに乱れ当国亦兵馬 駆逐の巷となり当社も遂に本殿を除き其の他の建物悉く焼失す 其の後島立右近 これを再建せらる それより代々の領主は勿論殊に松本城主小笠原政長よりは実に 七十余町を寄附し神領として七十石を給せられ更に歴代の城主より次々篤く偶せ られ松本城裏鬼門の守護神とさる明治五年郷社に列し明治三十四年県社に昇格 同四十年神饌幣帛料供進に指定せられ大正四年農林大臣早速整爾鉄道大臣仙石 貢閣下等を始め中央地方の名士の寄進により石玉垣が建設さる 尚昭和二年には 東筑摩郡波田村地籍波多国有林十五町歩の縁故特売を以って社有地となるも 昭和二十二年農地改革により開放となる 尚波田村地籍鷺沢嶽より鎮座 せる奥社その付近一丁七段歩の山林は当神社の御旧跡地として毎年例祭には該 山より萱を刈取仮殿を造り萱穂・柳葉六十六本を六十余州になぞらえて邪神 を鎮め平げ天下泰平を希ねがう神事が古式により行はれ今日に至っている 境内面積 貮千百九十坪 奥社面積 壱丁七段歩 −境内案内より− |
【 沙田神社 (松本市) 】