[HOME] > [神社記憶] > [甲信越地方] > |
|
美和神社
みわじんじゃ
山梨県笛吹市御坂町二之宮1450
|
||
式内社 甲斐國八代郡 桙衝神社 |
山梨県笛吹市御坂町二之宮にある。
一宮御坂I.Cの西2Kmほど。御坂町から石和へ向う道に参道入口があり、
木立の参道の先に、こんもりと社域。
入口には黒褐色の鳥居があり、木のトンネルを抜けると、晩秋の境内。
広い境内は茶に染まっていた。
社号の「美和」は「平成祭データ」には「みわ」とあり
「全国神社名鑑」には「びわ」とあった。
社伝によれば、景行天皇40年日本武尊東征の際に、
勧請し、国造塩海足尼を祭主として祀ったのがはじめ。
一条天皇の御代に、甲斐国二之宮の号を受け、
一宮浅間神社、三宮玉諸神社とともに、
甲斐国の水防の祭儀を執行した。
式内・桙衝神社の論社で、
三代実録の貞観五年(863)六月八日に「甲斐國從五位下勳十二等物部神。美和神從五位上」と
その名が見える国史見在社。
桙衝神社のもう一つの論社に、八代町の鉾衝神社があり、
多くは、そちらを式内社としている。とすると、
二之宮として崇敬され、三代実録にも記された美和神社が、
なぜ、式内社とならなかったのか、気になるところ。
南向きの社殿の前には、立派な立石が立っている。
一宮浅間神社社殿の正面、子持石という男根石があるが、
こちらも、男根だろうか。
あるいは、蕃塀のようなものだろうか。
境内社で確認したものは、
大神社(天照大神)、八幡社(八幡大神)、比賣神社(毘売神)。
コンクリートの立派な境内社があったが社名は不明。
『平成祭データ』には末社として、
「大神社、八幡社、太郎子社、比賣神社、一本杉、水神社、石尊社、道祖神」
と列記されているので、記載順を考慮すると太郎子社かもしれない。
鳥居 | 参道 | 境内の神楽殿 |
立石と拝殿 |
拝殿 | 太郎子社かな? |
本殿 |
毘売神 | 天照大神 | 八幡大神 |
美和神社由緒
美和神社は景行天皇の御宇日本武尊により甲斐國
造塩足尼が大和の大三輪神社から勧請し奉った甲斐
國内での古社である。祭神は大物主命で木造衣冠立
姿の御神体は平安時代の様式をもち重要文化財に指
定されている。後醍醐天皇の御代に一時杵衡神社と
称し奉ったが一條天皇の御時甲斐國第二之宮の号を
賜り年々一宮浅間神社、玉諸神社と共に甲斐國の水
防の祭儀を執行その御幸は國内をあげての大祭であ
った。ために代々その國主の崇敬も厚く、社領の安
堵社壇の造営も行われそれらの由緒を示す社宝も見
るべきものが多い。社宝としては数々のものを保存
しているがその主たるものをあげると次のようである
−境内案内板− 美和神社略記
本神社は景行天皇の御宇日本武尊により甲斐国造塩海足尼が大和の大三輪神社から勧請した古社である。一条天皇の御宇甲斐国第二之宮の号を賜り、年々一宮浅間神社・三宮玉諸神社と共に甲斐国の水防の祭儀を斎行、その御幸は国内あげての大祭であった。鎌倉家・足利家・武田家・徳川家の崇敬厚く、社殿造営の保護があった。−『平成祭データ』− |
【 美和神社 (笛吹市) 】