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樋知大神社
ひじりだいじんじゃ
長野県長野市大岡丙5405−2
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長野県長野市にある。
聖山の北麓(中腹)の大岡丙にある。
篠ノ井線聖高原駅から14Kmほどの位置。
まず北上して聖湖を目指し、聖湖から西へ進むと社前に到着。
参拝は秋の日の朝。
聖湖周辺は別荘地で、ウネウネと続く道の周囲は林。
林の中に、三角屋根の別荘が点在しており日本じゃないような雰囲気。
境内近くにはキャンプ場などがある。
境内入口は道路に面して北東向き。
社前には当社と縁の深い高峰寺がある。
朱の両部鳥居をくぐると鬱蒼と茂るブナ林。
中央には社殿に続く杉並木。
人気のない朝の参道を歩くと気持ちが良いのだが
熊の好物のブナなので、周囲に気を配りながら歩く。
社殿は入母屋造の拝殿と、少し離れて流造の本殿。
本殿の後方には、湧水の「お種池」(田苗池・種苗池)があり、
長野市指定名勝になっている。
当社は雨乞いに霊験のある神社として崇敬され
お種池中央の石祠の周りを冷水に耐えて歩き雨乞いしたという。
創祀年代は不詳。
式内社・武水別神社の論社の一つ。
祭神は、境内の由緒には武水別命。
境内の石碑には、諏訪大明神建御名方刀美命の第二の御子であるらしい。
ということは、諏訪御子神十三柱の中の出早雄命と同神ということか。
『平成祭データ』には、水波女命とある。
お種池の水を神格化したものなのだろうと思う。
明治維新までは、真言宗高峰寺として
社僧・神職と共に奉仕されていた。
高峰寺は、亀山天皇の文応元年六月十五日
学道聖人が修行の末、紀州・熊野権現から水玉をいただき
正観音像を刻み十一面観音を安置して真言宗を教えた寺院。
明治四十年四月、村社に列格した。
境内に「水の音 いつも身近や 秋の山」と刻まれた句碑があった。
水神を祀る神社に相応しい。
約1ヘクタールのブナ林や杉並木参道は長野市天然記念物。
聖山一帯のブナはほとんど切られてしまい貴重なのだそうだ
社頭。鳥居と社号標 |
縁起石碑 | 句碑 |
杉並木参道 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
本殿後方のお種池 |
お種池から本殿 | 朝日さす境内 |
社殿から参道 |
樋知大神社略縁起
樋知大神社は諏訪大明神建御名方刀美命第二の御子武水別命
で清和天皇貞観八年六月朔日従二位に昇叙格調高い神であるひじり山を頂点とする農業開拓の守り神で自然を共に農民を 慈む・(樋)は水路で(知)は民のくらしを治め司る大神である 社古はひじり山を高栖の山と称し峯にかかる雲の状態で天候 を占ひ雨乞により雨を降らせ給ひし事は安曇野・筑摩・ 川中島平の農民の信頼するところであった。 神領より別れ下れる農業用水は八峯の源泉湧出実に四十八口 武水別の神恩に浴する村々七十五ヶ村におよぶものでその尊 崇敬神はもとより旧きものである。御社は始め峯に御坐あつ たがお田苗池のほとりへ御坐なされ武(嶽)水別の神と奉● 今を去る七一七年の昔亀山天皇の文応元年修験僧学道●●● の峯に登られし時すでに戌亥の方に当って華表(鳥居)●●● たと記されている。 この度鳥居建設を記念して樋知大神● の略縁起の碑を建て大衆の周知を望む −社前縁起石碑− |