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横手駒ケ嶽神社
よこてこまがたけじんじゃ
山梨県北杜市白州町横手3804−2
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山梨県北杜市(旧白州町)にある。
山梨県と長野県の県境に聳える甲斐駒ケ岳(2967m)の東麓。
20号線付近にある北杜市白州総合支所から
614号線に入って道なりに西南へ3Kmほど進み、
そこから西へ入った場所、白州町横手に鎮座。
山梨県側の甲斐駒ケ岳への登山口はここ(竹宇地区)と横手にあり、
それぞれの登山口に駒ケ嶽神社が鎮座しており、
地元では横手駒ケ嶽神社、竹宇駒ケ嶽神社と区別して読んでいるようだ。
ただし、当社の境内由緒書きや資料などには駒ケ嶽神社とのみ記されている。
境内入口は南向き。
社前数十メートル南と境内西側に駐車スペースがあり、
参拝者のみならず甲斐駒ケ岳登山客も利用できるようだ。
境内入口の鳥居をくぐると右手に手水舎、左手に神楽殿。
正面に当社の社殿がある。
境内は傾斜地にあり、社殿後方には多くの祠や石碑が立っている。
切妻造本殿の後方には駒嶽大権現(大己貴命)、麻利支尊天(手力男命)。
他にも観世音菩薩、刀利天狗(猿田彦大神)、刀利大権現(少彦名大神)、
七丈嶽子安大明神、駒嶽馬頭観世音、天津火之大神(三宝荒神)、
妙見大菩薩、成田不動明王、秋葉大権現、神変大菩薩、役の行者など。
社殿の左手に剣が逆さに建てられ、御神木の後方
境内左手には甲斐駒ケ岳登山道を開いた信濃国の延命行者を祀った開山堂。
開山堂の周囲には多くの霊神の石碑が並んでいる。
社伝によると、神代の昔、建御名方命がこの地に至りし時、
雄大にして崇高な駒ケ岳の姿にうたれ、
「この山はいと高く清々しき地なり、かれここにあが御親の神を祭るべし」と
言ったのが当社の始まりで、
後、雄略天皇の御代二年六月に改めて雲州宇迦山(出雲大社)より
遷祀したと伝えられている古社。
文化十三年(1816)六月、信濃国の延命行者(小尾権三郎)が
駒ケ岳に入山し、始めて登山の途を開かれ、
以来、山岳信仰、神仏習合の神社として発展し県の内外に多くの講社が結成された。
毎年一月十四日夜半より筒粥神事が行われ、
その年の晴雨豊凶を卜すらしい。
本殿の屋根や境内の幟には山形に菱の紋が付けられていた。
甲斐駒ケ岳を御神体とする神社に相応しい神紋だ。
甲斐駒ケ岳(だと思う) |
社頭 |
観世音菩薩と境内入口 | 神楽殿 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
麻利支尊天(手力男命) | 駒嶽大権現(大己貴命) |
駒嶽大権現から本殿 |
不動明王? | 刀利天狗(猿田彦大神) |
刀利大権現(少彦名大神) | 七丈嶽子安大明神 |
駒嶽馬頭観世音 | 天津火之大神(三宝荒神)、妙見大菩薩 |
成田不動明王 | 秋葉大権現 |
神変大菩薩、役の行者 | 境内左手に多くの霊神 |
威力大聖不動明王(御開山) | 石仏 |
境内 |
駒ケ嶽神社
−境内由緒書きより− |