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神部神社
かんべじんじゃ
山梨県南アルプス市下宮地563
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式内社 甲斐國巨麻郡 神部神社 |
山梨県南アルプス市(旧甲西町)にある。
市役所の南500mの下宮地、52号線の東側に鎮座。
境内入口は東側にあり、境内全体も東向き。
赤い鳥居の扁額には「正一位三輪大明神」とある。
参道には桜の木が並び、参拝した頃には、
桜の花が咲き誇っていた。
参道正面に拝殿があり、後方の垣の中に本殿。
拝殿周囲は、二重の土塁によって囲まれた珍しい形式。
ただし、知らなければ気付かない程度。
境内左奥に、石祠が幾つか並んでいた。
創祀年代は不詳。
社伝によると、垂仁天皇の御代、
大和国の大三輪神社を勧請し、三輪明神と呼ばれていた。
当社の曳舟神事は、大和からの勧請の古事に因むもの。
往時は、社前まで湖があり、船を引いて、奉遷したという。
当社の鎮座地名は、「下宮地」というが、
当社の北西3Kmの場所に、「上宮地」という地がある。
これは、当社が「里宮」であるという意味で、
古くは、「山宮」と「里宮」によって構成されていたようで、
上宮地には、当社の「山宮」であった、八幡神社が鎮座している。
社殿や鳥居扁額には、三階菱の紋がついていた。
社号標 | 境内入口 | 鳥居には三輪大明神 |
境内 |
拝殿 | 境内社 |
社殿 | 本殿 |
町無形民俗文化財
神部神社の曳舟神事 平成六年六月二十八日指定
神部神社は大物主命を祭神とし、第十一代垂仁天皇の御代に大和国大三
輪神社から奉遷されたと伝えられており、「延喜式神名帳」に巨摩郡五座の
なかのひとつとして記載されている。毎年三月二日(往古は二月二日)に行われる舟引祭は、大和国から奉遷 された古事にならってその様子を再現しており、数本の矢をはなって、悪 魔をはらい、諸々の贖罪、五穀豊饒、天下泰平を祈願する。神事のなかで 木舟の舳先に綱をつけ神主、総代が引くというのは恐らく当時の運搬手段 のひとつとして、木舟を用いて内陸まで出入していたことを演出している ものと思われ、当時の文化流入についての様子がうかがえる遺産である。 古代における遷座の状況を神事としてこのようなかたちで残しているも のは類例がなく大変貴重なものである。 町指定文化財
神部神社の算額 平成五年三月二十八日指定
わが国古来の数学である和算は江戸時代に関孝和らを中心として独自に
発達し、当時の文化新興の一助となった。和算家が自分の発明した問題や解法を書き、寺社に奉納する「算額」、 つまり和算の絵馬は本県において存在が確認されているのは当社など数箇 所にすぎない。 この神部神社の算額は、文化三年(一八〇六)に上州の和算家清水直次郎 央七が奉納したもので、大正十二年、火災によって焼失してしまったが、 平成五年に古書にもとづいて奉納当時の姿に復元されたものである。 算額は、和算の研究だけでなく往時三輪明神と呼ばれていた当社への人々 の信仰と近隣諸国との文化や物資の交流などを知るうえでも貴重な史料で ある。 −境内案内− 神社の由緒
第十一代垂仁天皇の御宇大和国城上郡大三輪神社よりこの地方湖水なりし頃舟にて奉遷した(式内社)。往古から何かいか神階に叙せられ且つ神田若干の寄進あり。 保元平治の後も逸見武田、小笠原家等より厚く尊崇さる。祭典は数度の中で四月十二日の御幸祭を大祭とし、山梨県の内西御幸祭という。往古は公祭として行なわれた。故に下付されるもの武器・兵丈・馬口までに及び祭典終了と同時に官へ飛脚を以てその旨を報告せりという。又旧二月二日に御遷座の由縁を以て中祭にて舟引祭を斎行している。 −『平成祭データ』− |
【 神部神社 (南アルプス市下宮地) 】