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小内八幡神社
おうちはちまんじんじゃ
長野県中野市安源寺字石原572
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長野県中野市にある。
長野電鉄・信州中野駅の西3Kmほどの安源寺に鎮座。
上信越道の信州中野I.C.にも近い場所。
29号線から北へ少し入った場所に、西向きの境内。
境内入口に社号標が建ち、立派な神門がある。
道を隔てて、200mほどの長い参道があり、
参道の途中に鳥居と、木の丸橋がある。
神門をくぐると、思いのほか広い境内。
その境内の中央を真っ直ぐに参道が社殿まで続いている。
赤い屋根の拝殿の後方に、神明造らしき本殿が接続。
本殿の後方には、鬱蒼とした社叢が広がり、
深い杜となっていて、良い雰囲気。
中に遺跡があるらしいが、よくわからない。
あいにく空は、かすかに雲間から陽がさす程度の曇天。
新緑の季節、青空の下で参拝したい。そんな神社。
通称は、安源寺の八幡様。
社伝によると、清和天皇貞観年間の創祀。
中世には、庄内八幡宮とも呼ばれ、庄内=小内であるとして
式内社・小内神社の論社の一つになっている。
永禄四年九月、兵火により社殿を焼失したが、
のち天正年間、高梨頼親により再建された。
現本殿は、寛文五年、飯山城主・松平忠親により再建されたもの。
本殿の左右に、境内社が二社。
左に天満社、右に諏訪社。
天満社には鳥居があり、諏訪社には御柱が立っていた。
拝殿の屋根の中央に九曜紋らしき紋が付けられているが、
『神社名鑑』には神紋が記されていないので、当社の紋かどうかは不明。
鳥居 | 参道の丸橋 |
参道 |
境内入口の神門 | 境内 |
拝殿 | 本殿、後から |
境内社 | 境内社 | 御柱 |
中野市指定有形文化財 小内八幡神社本殿
本殿は、桁行319センチ 梁間210セ
ンチ 向拝418センチの三間社流造で、江
戸時代前期の建築である。母屋は円柱で、縁
長押・内法長押・頭貫・台輪をつけている。
正面3間に黒漆塗の両開きの板唐戸を取り付
け、両側と背面の二方は板壁とし、白く塗彩
した上に、猿・兎・菊・菖蒲の絵を描いてい
るが剥落がはげしい。 組物は出三ツ斗で中
備には本蟇股があって松・桃・蓮の彫刻があ
る。軒は二軒繁垂木である。向拝柱は角柱の
面取りで、頭貫を通し、組物は出三ツ斗で中
備には本蟇股をおき彫刻は牡丹と唐獅子であ
る。屋根は板葺きで、棟の両側に鬼板をつけ
ている。 創立年代は不詳であるが延喜式内
社に比定され、 本殿の立地する丘は由緒が
あって旧石器時代以降の一人複合遺跡である。
飯山藩主松平忠倶が寛文5年(1665)に造営
した。上述の如くすぐれた建築様式をもつ本殿は、 領主や庶民の尊崇をあつめ参道は長く、境内 は広く、しかも社叢はうっそうと茂るなかに 鎮座している。戦前の社格は郷社であった。 −境内案内板− 中野市指定無形民俗文化財 昭和四七年一二月二五日指定
小内八幡神社青獅子
小内八幡神社で九月一四日の夜、秋祭りの宵宮に舞う
青獅子は、長野県内でも特色のある珍しい獅子舞です。
獅子神楽の中の青獅子は、神事的なものから興行的な要
素の多い内容に変遷し、獅子頭は、板を二枚合わせた形
で色が青いことから青獅子と呼ばれています。獅子神楽の順序は、少女による浦安の舞、豊栄の舞に 始まり、ヨタン舞、オンベ舞、鈴神楽、刀の舞へと続き ます。子供たちの舞が終わると不気味な青い顔をした板 獅子が登場します。二人立ちを親獅子、一人立ちを子獅 子と呼び、手、口、尾に煙硝筒を持ち乱舞したり、曲芸、 軽業といえるような舞をします。 由来は、江戸時代の寛文五年(一六六五)の社殿の再 興のおり、江戸神楽を舞ったもの。定期的に演じられて いた旅芸人から教わったもの。伊勢の御師系の芸能者か ら教わったものなどがありますが、定かではありません。 青獅子の獅子頭は板獅子系の他ではみられないもので、 民俗芸能の原始的なものの一つです。また曲芸的な要素 についても歴史的な変遷過程の一部として貴重なもので す。 −境内案内板− |
【 小内八幡神社 (中野市) 】