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穗高神社 奥宮
ほたかじんじゃ おくみや
長野県松本市安曇上高地明神池畔  Zenrin Data Com Maps display !!


十四弁葉菊花

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式内社 信濃國安曇郡 穂高神社 名神大
旧國幣小社

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御祭神
穗高見命

長野県の有名な観光地、上高地にある。

上高地へ行くには、
長野県松本と岐阜県高山を結ぶ158号線を利用するが、
158号線から上高地へ向う道は、マイカー規制されており、
バスかタクシーでなければ入れない。
だから、マイカー利用の一般の観光客は、
岐阜県側の平湯か、長野県側の沢渡で
マイカーからバスに乗り換えることになる。
電車で向う人は、松本から松本電鉄で新島々まで行き、
バスかタクシーに乗り換える。

ということで、早朝6時前に沢渡の駐車場に到着。
沢渡には、いくつも駐車場があり、
それぞれの近くにバス乗り場が、全部で5つほどある。
休日には、この駐車場が満杯になるらしいが、
参拝日は平日で、しかも早朝なので、かなり空いている状態。
車を止め、バス停に向うと、すぐにバスが来た。
5時半頃から随時、バスが出ている様子。

バスに揺られながらウトウトしていると、
いつのまにか上高地バスターミナルに到着。

バスターミナルから、梓川沿いの道を5分ほど歩くと河童橋。
穂高神社奥宮は、河童橋から東へ一時間ほど歩いた明神池の畔に鎮座している。

穂高神社には、穂高町にある本宮と、上高地の奥宮、
さらに、穂高連峰の最高峰・奥穂高岳(3190m)山頂に嶺宮がある。
ちなみに、穂高連峰とは奥穂高岳・北穂高岳・
涸沢岳・前穂高岳・西穂高岳・明神岳の総称。

梓川にかかる河童橋から見える穂高連峰は、
左に西穂高岳、中央部奥かすかに奥穂高岳、右手に前穂高岳と明神岳となるが、
奥宮の鎮座する明神池は明神岳の麓。


河童橋

穂高連峰

河童橋から明神池へ向う道は、梓川の南岸と北岸の二本あるので、
まず、南岸を東に歩くことにした。
南岸の道は、明神から徳沢へ向う道で、すでに数組の登山客が先を歩いている。
森の中の道は静かで爽やかで、朝陽に向って進む。
時折、左手の木々が途切れると、陽に照らされた明神岳が見える。


梓川南岸を東へ約一時間、森の道を歩く

明神岳が見えてくる

河童橋から明神までは、約一時間の道。
アップダウンのない、気持ちの良い道だが、だらだらと長い。
朝食にパンを一つ食べてきたのだが、30分を過ぎたあたりで突然の空腹感。
いわゆるハンガーノックという状態で、力が出ない。
「腹減った」「腹減った」と呟きながら歩くと、ようやく明神に到着。
明神には、明神館という山荘があり、食堂や売店もある。
売店でチョコレートを買って一気食いし、コーラを飲んでやっと落ち着く。

登山目的のグループは、明神からさらに東の徳沢を目指すが、
奥宮に参拝するなら、そこから北へ進んで明神池方向へ。
明神の分かれ道には、「穂高奥宮参道」の碑が立っている。
北へ数分歩くと、目の前に明神岳が聳え、
その前に、茶色の明神橋が見えてくる。
明神橋を渡ると、橋はまっすぐに明神岳に向っているのがわかる。


奥宮参道入口

明神橋

明神橋と明神岳

明神橋を渡り、左方向に少し歩くと、奥宮境内入口の鳥居が見えてくる。
鳥居をくぐり、境内に入ると、正面に奥宮、
右手に休憩所、左手に社務所がある。

穂高神社の本殿は、「穂高造」とよばれる社殿。
基本は流造だが、屋根の勝男木が特徴的。
一般の勝男木は、屋根の嶺に直角に並んでいるが、
「穂高造」では、二本の勝男木が中央から左右の千木に斜めに立てかけられている。
一説には、釣り竿や船の櫓を水辺で立てかけた形。
海神を祀る神社には相応しい。

まず、奥宮に参拝し、奥宮の背後にある明神池へ。
明神池の拝観には、拝観料が必要だ。


奥宮境内入口の鳥居

境内、左が社務所、右が休憩所

正面、門の中に小祠

穂高造の小祠

横から

明神池は、明神岳の麓にあり、一の池と二の池に分かれている。
鏡池とも呼ばれた静かで、透明な池。
池に泳ぐ魚が、中空に浮いているような錯覚を覚えるほど。

池に突き出した木の桟橋に立って、明神岳を見上げていると、
池の奥の方から、何かが水面を移動してくるのが見えた。
一匹の小ぶりの鴨が、波を立てながら、まっすぐに桟橋に向って進んできて、
桟橋の下に消えて行った。
しばらくすると、桟橋の横から、桟橋に上がってきた。
僕に近づいてきて、しきりに足元を突付いている。
観光客が餌を与えているのだろうか。
東京の駅のホームにいる鳩のような行動に、頬は緩むが、気持ちは複雑。


拝観料を払って、明神池

池の奥から、一匹の鴨が泳いできた

足元に近づいてきた

創祀年代は不詳。

社伝によると、神代の昔、
人跡未踏の穂高岳に、祭神・穗高見神が降臨し、
重畳なる中部山岳を開発。
さらに梓川流域の安曇筑摩地方を開拓したという。

よって上高地は、神降地・神合地とも称した神聖な場所。

当地の豪族、安曇氏が祖神を祀った神社であり、
上下の崇敬を集めた古社。

奥宮への参拝を終え、梓川の北岸を西へ。
南岸の道は、川から少し離れた森の中の土道だったが、
北岸の道は、川岸の草の上に渡した木道。
水音を聞きながら、コツコツと靴音を鳴らして歩く。


梓川北岸の道は木の道

梓川

朝日が昇った

穂高から下山してきた登山者が二人、
(たぶん)思い出を語らいながら、先を歩いていた。

上高地には、当社以外にも見所は多いのだろうが、
あまり興味がないので、すぐにバスに乗って沢渡へ戻る。


下山した登山者が、歩いて行く

穂高神社奥宮由緒
一、御祭神穂高見神神武天皇の御叔父神)
一、例 祭十月八日(紅葉祭りともいう)
 同日(日本アルプス遭難者慰霊祭)
一、神 域一六、〇〇〇坪(五万二千八百平方米)
一、鎮座地南安曇郡安曇村上高地明神池畔
  由緒
太古奥穂高岳に天降ったと伝えられる穂高見神は、海神 綿津見神の御子神で、海神の宗族として遠く北九州に栄 え信濃の開発に功を樹てた安曇族の祖神として奉斎され、 日本アルプスの総鎮守として明神池畔に鎮座する。
松本藩主水野忠恒 大成の信府統記(一七四二)には、 「皇御孫尊穂高嶽ニ鎮座マシマスト云ヘリ、此嶽清浄 ニシテ其形幣帛ノ如ク麓ニ鏡池、宮川、御手洗、河 水アル所ヲ神合地ト云フ、大職冠鎌足公モ此神ヲ敬 ミ祭リ給ヘリ…」 とあり、すでに江戸時代中期には松本藩からも厚く崇敬 されて、鎮座の昔を仰ぎみることが出来る。
上高地は古くから神降地、神合地、神垣内、神河内とさ れ、神々を祀るに最も相応しい神聖な浄地である。
善光寺名所図会(一八四三)に霊湖とされている明神池 は鏡池、神池ともいわれ、明神岳(穂高岳の一峯)の直 下にして一の池・二の池からなり、奇石奇樹の島影は神 秘ただよい、十月八日神池に浮かぶ龍頭鷁首の御船は碧 潭に映えて美しく平安朝の昔を偲ばせる。
  嶺 宮奥穂高岳に鎮座
  本 宮南安曇郡穂高町に鎮座

−境内案内板−



【 穂高神社 奥宮 】

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