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千鹿頭神社
ちかとうじんじゃ
長野県諏訪市豊田3903
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諏訪湖の南、諏訪大社上社本宮から16号線を北上。
豊田有賀付近で、路地を西へ入って登った奥にある。
上社の摂社で、その社名が示す通り、上社御頭祭に供される鹿を
用意する神社。狩の神なのだろう。
御頭祭は、前宮十間廊に七十五頭の鹿の頭を供えたという、
血生臭い神事で、中に一頭、かならず耳が裂けた鹿がおり、
高野の耳裂鹿と呼ばれた。
千鹿頭神社という神社は、当社の他にも、諏訪周辺に五社あるが、
前宮で、「千鹿頭神社へ行く」と云ったら、この場所を
地図で説明していただいたので、ここが一番有名なのだろう。
諏訪頼水の奉納した扁額に、
「みすず刈る信濃の諏訪の賑はひは内県の神のいさをなりけり」
とある。
他の千鹿頭神社は、松本市千鹿頭山、諏訪郡茅野町下河原、
諏訪郡富士見町に2社あり、すべて千鹿頭神を祀っている。
諏訪大社の摂末社、いわゆる『小宮』でも御柱祭が行われ、
社殿の四方に柱が立つ。
鳥居 |
境内 |
拝殿 | 神楽殿 |
拝殿 | 本殿 |
一之御柱 | 二之御柱 | 三之御柱 | 四之御柱 |
諏訪湖の西南、北有賀の小丘上に鎮座する。境内はまさに景勝の地で、西は有賀峠、東は諏訪市一円
を眺望できる。旧有賀郷の産土神であり、上社の摂社の一つである。「浜南宮千鹿頭大明神」とも称し、
建御名方命の御子神内県神を祀っている。旧郷社。 当社の旧伝によれば、建御名方神は科野(信濃)の開拓に当たってこの地に離宮を営み、開発達成のの ちに県を定め、諏訪のうち、南は安国寺(茅野市宮川字安国寺)と金沢(茅野市金沢)の境を流れる鳴沢川ま で、北は有賀郷の小敷原を内県とした。内県神は建御名方神の信任篤く、そ の住居は神殿となり神社となったあとも諏訪上社との縁由が最も深く、「鯉 走多長四立」「内県介宮付御頭」など昔から盛儀の神事を多く伝えるという。 例祭は四月八日。 鎮座地一帯の小字は、東を宮垣外、西を宮の脇、南を宮の上、北を宮坂と いい、付近には古式原雅楽屋敷などの地名もあり、当社の規模の宏大であっ たことを証している。また当社と古式原明神の中間に鐘鋳場屋敷という地名 があり、ここで鋳た大鐘は上社外苑に明治初年まで信仰の中心として栄えた 普賢堂の鐘楼に伝わり、名鐘であったといわれている。ちなみに、高島初代 藩主諏訪頼水(在位慶長六年−四○年)の奉献した扁額には、「みすず刈る信濃 の諏訪の賑はひは内県の神のいさをなりけり」とある。 当社は赤石山脈有賀峠越えの、上野・覗石・沢底など古来の鹿・猪の狩り場の入口に位置し、古くは 諏訪上社御頭祭に用いる鹿は当社で整えたという。 「千鹿頭」の訓みについて、嘉禎年中の奥書をもつ『根元記』には、「有賀郷にチカト、上原郷(茅野 市ちの上原)にチカト、埴原田(茅野市米沢埴原田)にチカト」とあるが、現在は「チカトウ」と発音されて いる。また、上原の千鹿頭神社の吉記録には、「吉代神楽歌」として、「千鹿頭ノキタノハヤシノススム シハススムシハヤチヨノコエテツネニタイセヌ千鹿頭ノ明神ウレシトヲホスラントヲスランユキタタ イマノ花ノキヨメヨ」とある。 −『日本の神々』− |
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