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諏訪社
すわしゃ
長野県長野市若穂綿内字清水2351
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式内社 信濃國高井郡 越智神社 |
長野県長野市にある。
長野駅の東10Kmほどの若穂綿内の清水に鎮座。
上信越道の須坂長野東I.C.の南3Kmほどの場所に境内がある。
社前の道路の真ん中に一本の木があり、
その木を避けるように車線が二つに分かれているのが面白い。
社前に赤い鳥居が立っており、
鳥居をくぐり数段の階段を登ると境内。
境内には、一本の真っ直ぐな灯籠が立っており、
その左手に覆屋根の設けられた御神木。
江戸時代に村内に疱瘡が流行り、死者が多く出た時
祈祷を行ったところ、鬱蒼とした大樹が枯れ、
疱瘡患者はたちまちに健康になったという。
社殿の扁額に「諏訪社」と大きく書かれており、
拝殿の後方、高い場所に本殿がある。
本殿にも覆屋根が設置されている。
当社に関する詳細な由緒は未入手。
宮王神社の由緒書きによると、
天平九年(737)霊峰妙徳山(明徳山)頂に
越智泰澄神融が白鬚大明神を祀って越智神社を創建。
その前宮が踊原に創建され、
平安初期に宮王神社の地に前宮が遷座。
鎌倉時代に、ここ清水の片山の諏訪神社の地へ遷座され、
さらに室町時代後期の永世元年(1504)
現・小内神社の地へ遷座されたという。
よって、当社は式内社・越智神社の論社・小内神社の古社地らしい。
社殿の屋根に、亀甲の中に卍の紋が付けられていた。
境内には幾つかの石祠があるが詳細は不明。
『平成祭データ』には末社として以下の名が載っている。
皇大神社、秋葉社、八幡社、養蚕社。
社頭 |
鳥居 | 社前の木 |
境内 |
御神木 | 社殿 |
扁額 | 本殿 |
石祠 | 石祠 |
御神木の由緒
正徳年間(一七一一〜一七一五)の村内に疱瘡が流行
し長幼の別なく感染し死する者多きにわたり
之を憂い疱瘡消滅に向けて祈祷祭を斎行した
ところ不思議にも社頭の鬱蒼とした大樹は
樹皮間より濃汁が流出し木の葉が萎びて
枯木となり患者頓に健康に復す是より村民が枯木に雨覆いを設けて神霊の 著しきを敬仰し祈願増々深厚となったものである。 −境内案内板− |
【 諏訪社 (長野市) 】