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鵜川神社
うかわじんじゃ
新潟県柏崎市宮場町4−9
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柏崎駅の南、1Km程度。集落の中にある。
もとは、琵琶嶋城の二の丸があったところらしい。
狭い路地を入って参拝。道路が狭いので苦労した。
社殿は大きく立派だが、本殿はよく見えなかった。
社前に立派な木があったが、神木だろうか。
桜がまだ咲いていたが、参拝中、大きな蜂がまとわりついて離れず、
気になって、ゆっくりできなかった。むかついた。
式内社・鵜川神社の論社。
社伝によれば、嵯峨天皇の御宇、八條殿が当国介に任ぜられ、
近江国から赴任した時、生国である筑前国の箱崎八幡宮の分霊を受け、
中世には八幡宮と称されており、
琵琶嶋城鬼門守護神として崇敬された神社。
天明二年(1782)、吉田家より鵜川神社の社号使用の許可を受けたらしいので
江戸後期から現在の社号なのだろう。
八幡宮であったはずだが、拝殿には梅紋があった。
なぜだろう。神紋かどうかは、不明。
社頭 |
鳥居 | 拝殿 |
庚申石碑 | 境内社 |
社前の木 |
社伝によれば、祭神二柱は嵯峨天皇御宇、八條
殿當國介に任ぜられ、近江國より赴任の時、生國筑前國那
珂郡箱崎八幡宮の分霊を受け、弘仁二年(八一一)八月二十
二日遷座、是より本社を二殿とし、八社大神、八幡大神と
併稱した。當社境内は枇杷島城二ノ丸で、天文二年(一五
三三)上杉定憲に焼かれたが、同年十月二十六日、春日山城
主長尾爲景當社に祈願文を納めて社頭造営を誓つてゐる。
同三年の再建の時二殿を一社に合祀した。 永禄七年(一五六四)琵琶島城主宇佐美駿河守定満没し同 家断絶してより社運衰退した。天明二年(一七八二)六月、 吉田家より鵜川神社の社号許可をうけた。元文四年(一七 三九)正月二十二日社殿焼失、文化七年(一八一〇)再建。 當村の産土神として明治六年十一月、第六大区二小区の 村社に列した。 −『式内社調査報告』− |
【 鵜川神社 (宮場) 】