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山梨岡神社
やまなしおかじんじゃ
山梨県山梨市下石森1
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山梨県山梨市にある。
山梨市駅の南東1Kmほどにある30mほどの石森山に鎮座。
道路から狭い道を少し東へ入ると、参道入口があり、
鳥居の先に、赤い欄干の橋がみえる。
当神社の特徴は、なんといっても石・石・石だ。
石森山にはいたるところに巨石があり、巨石には石祠が祀られている。
境内に入って、最初に渡る橋の周囲の池の側には、
巨石が無造作に積み重ねられていた。
確かにすごいのだが、僕の個人的感想は、
「う〜ん、なるほど」といった程度だった。
期待が大きかったからかもしれないが、石の位置が問題だ。
地方の豪華な温泉旅館などへ行くと、地泉庭園の脇に、
巨石を積み上げた日本庭園を見ることがある。そんな印象なのだ。
勿論、現代の日本庭園では、クレーンなどの大型重機を用いたもので、
古代の人々の手によるもの、あるいは自然に存在するものとは
明らかに違うことは理解できるのだが。
これが、池の側でなかったなら。山奥の神社の境内にあったならば。
創祀年代は不詳。
社伝によれば、日本武尊東征の際の勧請とする。
熊野権現と国立明神を合わせた神社で、
『甲斐国志』では、社名を熊野権現としている。
風土記には「山梨岡」、六帖には「石森岡」と記され、
文武天皇9年の祈年祭に幣帛を受けた。
神紋は、『神社名鑑』には角菱とあったが、確認できず、
拝殿には桐紋が付いていた。
境内にはデイラボッチの草鞋が飾られていた。
当地にも巨人伝説があるようだ。
確かに、これらの巨石が突然出現している状態は、
巨人などの超人間的な力を想起するのだろう。
山梨には、丸石信仰があり、辻や神社境内には道祖神として丸石が祀られている。
石森山の石は、よくみると、みんな丸みを帯びた石、
あるいは、その欠片のように見えなくもない。
池脇の巨石も、瓦礫のような印象だ。
ひょっとすると、巨大な丸石を祀っていたものが、
崩壊したか、破壊されたものかもしれない。
などと、想像してみたりすると、面白い。
参道入口の鳥居 | 神橋 | デイラボッチの草鞋 2mぐらいかな |
拝殿 | 本殿 |
境内 |
境内の石組 | 池の石組 |
境内や石森山の主な石には、みな名前が付いており、
境内の案内図に、記されていた。
最初は、それぞれの石の位置と名前を確認していたが、
すぐに飽きてしまった。
境内にある石森山の図 |
社殿左の石 | 山頂の石と祠 |
境内左の石 | 他にも沢山ある |
山梨県指定有形文化財 山梨岡神社本殿
昭和三十五年十一月七日指定
山梨岡神社は社記によれば創祀年代は未詳だが、神護景雲
二年(七六八)造営以来しばしば再興されたといわれる。祭神は熊野大権現(伊弉諾尊・事解男命・速玉男命)及び 国建大明神(国常立尊・大国主命・少彦名命)を併せ祀る。 本殿は二座相殿の二間社流造り、銅板葺き、身舎は円柱、 斗供は拳鼻付き出組みで、正面幣軸板扉、擬宝珠高欄付き 縁、側面後端に脇障子がある。 妻飾りは懸魚・板蟇股など見るべきものが多い、向拝は一 間で、面取り角柱を海老虹梁でつなぐ。この建物は細部の手 法が装飾的で、桃山期以降の技法がよく認められる江戸初期 の優れた遺構である。 尚、昭和三十六年の解体修理の際、元禄十六年(一七〇三) に修理したことを示す墨書が大斗裏から発見された。 −境内案内板− |