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物部神社
もののべじんじゃ
山梨県笛吹市石和町松本615
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式内社 甲斐國山梨郡 物部神社 |
山梨県笛吹市にある。
石和温泉駅の北数百m。青梅街道から参道が北へ延び、社前に到着。
参道脇には墓が立ち並んでいる。
近くにある大蔵寺のものだと思うが、
昔は、大蔵寺が当社の神宮寺であったという。
階段を登ると、社殿。
大蔵経寺山の南麓の斜面に鎮座しており、
社殿後方の本殿は、拝殿よりも少し高い。
本殿は覆屋の中にある。
創祀年代は不詳。
式内社・物部神社に比定される古社。
十社明神と呼ばれている神社で、
十社とは、祭神十柱のこと。
物部氏の代々の祖を10代祀った神社である。
境内の案内に、御室山山頂に旧蹟があると書かれていたが、
『式内社調査報告』には、「分明でない」と記されていたので探さなかった。
山梨の神社では、御室山に鎮座としている社が多い気がする。
社殿には武田菱が付いていたが、
神紋かどうかは不明。
社域 |
鳥居 | 階段上に社殿 |
境内 |
本殿 | 本殿 |
境内社 | 境内社 | 境内社 |
御由緒
物部十社明神といい、物部氏の御先祖である饒速日命その子可美真手命より十神をお祀りする神社です。饒速日命は神武天皇が大和国
平定の折勲功を立てそれ以来代々朝廷にお仕えし垂仁天皇の御代に物部(朝
廷を警護し、武事を掌りし部族の総称)の姓を賜はり、大連(朝廷の政務を
補佐し、国務大臣に相当する職)として国政に参与し、一家一門はこの地を中心に
繁栄し隆昌をきわめた。又、物部神社は延喜式神名帳、三代實録等の古
典に記録されており、それによると清和天皇の貞観五年六月八日に甲斐国
従五位下勲十二等。同八年三月二十八日正五位下。同年閏三月一八日従四位下。
同十八年七月十二日従四位上と更に陽成天皇の元慶三年二月八日正四位上、物
部神従三位の位と田三十四町歩を賜る。往古は山梨の郷御室山に鎮座したが後世此の地に遷し祀る。現在御室山 に旧蹟があり古今集にも「神垣の御室の山の榊葉は神の御前に茂り合い けり」と詠じてある。又、醍醐天皇が延喜の制度を施行された折、一の宮として 国幣に預り本国屈指の名社のみならず此の地方の鎮守神として古来より 上、下の信仰厚く文化発展の中心となり、古代の石器、土器類が発掘された。 後世、徳川家より黒印二石四斗五升を賜る。旧社殿は明治二二年二月一二日 夜拝殿より出火焼失。真言宗大蔵寺は当社の宮寺であった。 御本殿は「流造桧皮葺」拝殿「入母屋瓦葺」である。 奉納の和歌
−境内案内板− |
【 物部神社 (笛吹市) 】