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大膳神社
おおぜんじんじゃ
新潟県佐渡市竹田561
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式内社 佐渡國雑太郡 御食神社 |
佐渡島の西のくびれ、旧真野町、国分寺の近く、
「中部北陸自然歩道」沿いにある。
それほど広くはないが、行き届いた印象の神社。
神紋は拝殿にあった紋だが。。。
参道入口には上部のない鳥居。
境内には能舞台がある。
創祀年代は不詳。
式内社・御食神社の論社。
本来の社号は、御食神社だったと思われるが
御食神は、宮中大膳三祭神の一座であったため大膳大明神と称され、
衰退後は、本来の御食神社という社号が忘れられたものらしい。
聖護院宮に仕えた大膳坊賢榮が、阿新丸を京都より案内し
佐渡に配流された阿新丸の父・日野資朝卿に会わせようとしたが
雑太城主本間山城守が、これを許さず、日野資朝卿を誅した。
阿新丸は仇を討つため、大膳坊賢榮の援けを受け
本間山城守の館に潜入し、本間山城守の弟三郎を殺し、京都へ逃げる。
本間山城守は激怒して大膳坊賢榮を処刑したが、
その後、数々の祟りがあり、
日野資朝卿と大膳坊賢榮を大膳神社に祀ったという。
明治四年村社に列した。
参道入口 | 境内入口 | 境内社? |
能舞台 |
社殿 |
神倉と本殿 | 拝殿 |
大膳神社縁起 左殿 日野資朝卿 正殿 御食津大神 右殿 大膳坊賢榮 正殿 御食津大神は農業食饌 の祖神豊穣の守護神で、古来当 地のうぶすな神として尊崇敬慕 されている。その勧請創始につ いては諸説があり、一説には式 内社当国九社の一つとも言われ るがなお詳らかではない。 正中の変の折日野資朝卿当国 に配流され、一子阿新丸は父子 対面を求めて遥々都から下向し たにも拘らず、遂に許されぬ儘 父刑死の無念を霽らすべく城主 本間山城守の館に潜入し、その 弟三郎を斬って本懐を果した。 この間大膳坊賢榮は真の敵は鎌 倉なりと阿新丸を諭したがその 孝心の已み難きに感動してこれ を扶け、更に迫り来る討手窮追 の危機の中に阿新丸を守護し無 事死中を脱して帰京せしめた。 山城守は激怒し大膳坊を処刑 したが、その後大いに悔い畏れ て、日野資朝卿と大膳坊を当社 に合祀してその霊を崇め奉った と伝えられている。 −境内案内より− |
【 大膳神社 】