[HOME] > [神社記憶] > [甲信越地方] > |
|
神部神社
かんべじんじゃ
山梨県南アルプス市寺部2171
|
|||
山梨県南アルプス市(旧若草町)にある。
甲府駅からなんせいに12Kmほどの寺部に鎮座。
中部横断道の南アルプスI.C.の入口から南東へ100mほどの
道路がゆるくカーブしている場所に南向きの境内がある。
鳥居の右手には「神部神社」と刻まれた社号標。
『平成祭データ』には「神部社」とあるので、神部社が正式なのかもしれないが、
鳥居の扁額には「神部神社」「八幡神社」と二つの社号が併記されている。
鳥居をくぐると参道途中にもう一つの鳥居。
その鳥居の奥に神門があり、さらに参道を進むと当社の社殿がある。
参拝は四月の中旬。境内は芽吹いた緑で青々としていた。
拝殿は瓦葺入母屋造。後方の本殿は銅板葺流造。
社殿の周囲には多くの石祠が祀られているが詳細は未確認。
社頭に当社の由緒書きを記した案内板があり、
そこに当社の神紋は「松皮菱」と書かれているのだが、
本殿の屋根にある紋は「三階菱」。
ともに三つの菱型が上下に重なった、良く似た図案だが、
どちらが正しいのか、あるいはどちらでも良いのか、
あるいは三階菱を松皮菱と呼んでいるだけなのか。これも未確認。
創祀年代は不詳。
一説には上代、当地に鏡作部が置かれた時、その遠祖を祀ったものと考えられている古社。
大井荘内七ヶ村の惣鎮守で、寺部・加賀美地区の産土神として崇敬された神社。
社頭の案内板や『甲斐国社記・寺記』には「延喜式内 神部神社」とあり、
当社は式内社・神部神社の論社であるようだ。
ただし『式内社調査報告』には当社の記述はなく、
『山梨県神社誌』にも式内の記載は無いので、有力な論社ではないのかもしれない。
一般には下宮地の神部神社が式内社・神部神社と考えられているが、
当社の鎮座地が寺部なので、宮と寺が分離した時に分社されたという可能性はないだろうか。
(当地の歴史を調べたわけではないので、単なる思いつきでしかないが)
鎌倉時代、大井荘地頭の加賀美信濃守遠光が京都石清水八幡宮を分祀勧請し、
加賀美、秋山、南部、小笠原等の氏神を称したらしく、
鳥居扁額に「八幡神社」と併記されているのだろう。
社頭 |
境内入口鳥居 | 境内鳥居 |
神部神社・八幡神社 | 神門 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
石祠 | 本殿屋根に三階菱 |
境内 |
社記
当社は旧大井荘内七ヶ村惣鎮守寺部、 加賀美地区のうぶすな神なり草創古代鎮座鎌倉時代 大井荘地頭の加賀美信濃守遠光 京都石清水八幡宮を分祀勧請加賀美、秋山、 南部、小笠原等氏神を称し以来国主武田家の 歴代崇敬うけ徳川時代また朱印地をおくらる。 西郡第一の社領にて荒塁存し古態なり。 かって加賀美の王子の社までの神幸八月十日の やぶさめ(流鏑馬)は地方の名物なりき。 −社頭案内板より− |