[HOME] > [神社記憶] > [甲信越地方] > |
|
草創神社
くさわけじんじゃ
長野県上田市大字上田字弥伍平267
|
|
旧郷社 |
長野県上田市にある。上田駅の北東3Kmほど、
上信越道・上田菅平I.Cの西1Kmほどの弥伍平に鎮座。
太郎山の南東麓の傾斜地に境内がある。
以前住んでいた家の近くにあるのだが、
道路を走っていても当社境内は見えないので存在を知らなかった。
この「草創神社」という社号が不思議な感じだったので参拝してみた。
『平成祭データ』で調べてみても、日本に数社しかなく、
上田市の当社と徳島県にしかない珍しい社号だ。
ただ、この社号は明治になってから付けられたものらしい。
鎮座地の小字は弥伍平だが、
これは当社の旧名「彌伍宮」によるもので、当社周辺のみのもの。
大きくは金井地区に鎮座する神社で、社地近くから金屎が出土し、
当地で製鉄が行われていたのだろう。
金鋳が金井へと変化したと考えられているらしい。
参道脇に雨乞地蔵があり、雨の少ない上田地区では
昭和の頃まで、この地蔵の前で雨乞い祈願が行われていた。
創祀年代不詳。
尾張国津島神社の分霊を勧請し津島ノ宮と称していた。
はじめ、当地開拓の祖で、真田一族の金井飛騨守の崇敬篤かったが
村上義清によって社領が没収され、
後、武田晴信より七貫文の社地が寄進された。
寛永年中 津島神社境内摂社の彌五郎社を勧請して後は「彌伍宮」と呼ばれ、
明治初年に郷社に列し、明治三十四年四月十一日草創神社と改称した。
祭神は須佐之男命・彌種継命。
須佐之男命は津島社の祭神だから、彌種継命が彌五郎社の祭神なのだろうけど、
尾張の津島神社摂社弥五郎殿社の祭神は現在大穴牟遅命となっており、
「弥五郎」の社名は武内宿禰公末裔・堀田弥五郎正泰によって造替られたことによる。
ということで、彌種継命については良くわからない。
「種継」という名から、矢で暗殺された奈良時代の
公家・藤原種継を連想するのだが関係あるのだろうか。
本殿の右手に金井村開拓の祖を祀る飛騨守神社。
左手に蚕影神社、埴山姫神社、三峯神社、天満宮。
以前の由緒では飯繩社とあるが、社名が三峯神社と変わったのだろう。
社殿の左右には立派なクヌギ、ケヤキがあり上田市指定保存樹木となっている。
社頭 | 参道と雨乞地蔵 |
境内 |
鳥居 | 彌伍宮 |
社殿 | 飛騨守神社 |
社殿 |
拝殿と小さく飛騨守神社 | 保存樹木と本殿 |
境内社と保存樹木 |
草創神社
神科郡大字上田金井字彌伍平にあり。もと津島社・彌伍社といひ、明治三十四年四月十一日草創神社と改稱許可
祭神は須佐之男命・彌種繼命。祭日、九月二十五日。創立年代詳ならず、尾張國津島神社の分靈を勸請し、津
島ノ宮と稱す。金井飛騨守の崇敬厚かりき。天文二十一年七月武田晴信七貫文の地を寄すといふ。寛永年中
津島神社境内攝社彌五郎社の分靈を勸請して除疫を祈祷し、彌伍大明神と稱す。境内社には天神社・蠶影社・飯
繩社・飛弾守社あり。同二十八年三月彌伍神社と改稱許可。同三十年三月郷社に列す。本社・拝殿・渡殿・御供
殿・鳥居石造を具備し、境内三百八十八坪。氏子六十一戸
−『小縣郡史』− |