[HOME] > [神社記憶] > [甲信越地方] > |
|
清水神社
しみずじんじゃ
長野県長野市真島町大字真島字藏王沖2234−3
|
|||
長野県長野市にある。
長野駅の南に直線で5Kmほどの真島町に鎮座。
鎮座地の真島は、古くは馬島と記され、
延喜馬寮式の官設牧場であったという歴史ある地。
長野南バイパスから犀川にかかる五輪大橋へ向かう道の南へ少し入った場所。
1998年長野冬季オリンピックで使用されたホワイトリング
(長野市真島総合スポーツアリーナ)の横に細長い境内がある。
境内入口は南東向き。鳥居扁額には「清水神社」。
鳥居をくぐると松並木の100mほどの参道が続く。
参道の左手はホワイトリングの駐車場があり、
駐車場の向こうに、銀色のUFOのようなホワイトリングが見える。
参道の中央に小さな石橋があり、さらに進むと社殿。
境内左手に社務所があり、正面に拝殿。
入母屋造妻入りの拝殿の後方に覆屋根が設置された流造の本殿がある。
また、拝殿の扁額には「式内清水神社」とあった。
参拝は10月初旬の午後。
境内では秋の例大祭の準備をされていたので、
拍手の音も控えめに、邪魔にならないように参拝した。
創祀年代は不祥。式内社・清水神社の論社。
祭神は廣國押武金日命。第二十七代安閑天皇のことだが、
「金日命」の名から金峯山の蔵王権現と同一の神と考えられており、
当社も鎮座地の字名・藏王沖から蔵王権現のことだとわかる。
さらに、文政八年(1825)当社家より
吉田家に提出された文書にも蔵王権現とあるらしい。
明治以前には、権現社といったらしく、
犀川の水害除けの権現様として祀られたものとも考えられる。
また、当地は古く「古市の里」と云われていたという伝承があり
安閑天皇の御稜が河内の古市高屋丘陵であること関係があるらしい。
明治六年の由緒書きには、
度々の水害のため祠が流出するので、蔵王権現に合祀し、
跡に石祠を建てたとあるらしく、この合祀された神々が
水戸神である秋津比古神・秋津比賣神へ変化したもののようだ。
よって、本来の清水神社は、この合祀された神々で
これが式内社・清水神社の論社ということになるのかもしれない。
境内には境内社の祠・石祠が多く点在しているが各社の詳細は未確認。
古刀比羅神社のみ「金」の文字の幕が掛けられていたので金刀比羅宮だとわかる。
『平成祭データ』には、当社の摂末社として以下の名が記されている。
古刀比羅神社(古刀比羅大神)、宇賀社(宇賀神)、
少彦名神社(少名彦神)、天満社(菅原大神)、八幡社(八幡大神)。
当社の神紋に関して。
拝殿の屋根や幕には「六文銭の紋」。
拝殿の提灯には普通の「菊水紋」、本殿の幕には「葉付き菊水紋」が付けられていた。
菊水に関しては葉の有無は関係ないのかもしれない。
天皇を祀る清水社としては、菊と水の組み合わせは相応しい紋だと思う。
社頭 |
鳥居 | 参道 |
参道からホワイトリング |
境内 | 拝殿 |
拝殿内 | 本殿 |
境内 |
菊水紋 | 真田六文銭 |
境内社 | 古刀比羅神社 |