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王日神社
おおひじんじゃ
長野県中野市諏訪町4−20
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長野県中野市にある。
長野電鉄信州中野駅の東1Kmほどの諏訪町に鎮座。
当社の西には、東西130m、南北100m、
四方に土塁と堀がめぐる北信地方最大の中世の方形館跡である高梨氏居館跡がある。
高梨氏は平安末期にはじまる頼季流信濃源氏の有力武士団で、
鎌倉から室町にかけて北信地方で勢力を拡大したが、
慶長年代、上杉氏とともに会津に移り、館は廃館となったらしい。
また、高梨氏の出で、鎌倉から南北朝時代の臨済宗の僧、
関山国師「無相大師」生誕の地でもあるという。
当社参道入口は南向き。
「郷社王日神社」と刻まれた社号標が立っており、
朱の大きな両部鳥居をくぐって100mほどの参道を北上すると境内。
境内の北側に拝殿があり、拝殿の右手前、
社殿から見て左前に御柱が一本。
北信の神社では、このように一本の御柱を建てた神社が多い。
残念ながら本殿は拝殿の後方で確認できず、
境内の裏側に回ってみたが、漆喰の覆屋の中にあるようだ。
境内の左手に恵比寿と大黒の大きな石像を安置した建物がある。
創祀年代は不詳。
当社は和名抄記載の日野郷中野の地に鎮座する神社で、
昔は、当社の東にある大平山(王日良山)、
現在の鴨ヶ嶽(688m)に鎮座し日野社と称していた。
領主高梨氏の崇敬をうけ、観応二年(1351)
高梨氏の居城のそばの現社地に遷座。
天正年間洪水により社殿流失。文禄元年(1592)に再建。
文化七年(1810)四月、さらに本殿を改築し、
元治元年(1864)八月、王日神社と改称。
明治六年六月郷社に列せられた。
境内の左手に松尾社(少彦名命)。境内の右手、社務所の前に秋葉神(軻遇突智神)、
拝殿の左手に西宮神社(八重事代主命)が祀られている。
境内由緒書には、この他に弥栄社(素盞鳴命・高市神)と大黒天(大国主命)があるらしいが、
大黒天は恵比寿と並んだ石像のことだろうか。
また、弥栄社は未確認だが、拝殿右手にある天王神輿を納めた庫があった。
『全国神社名鑑』によると、当社の神紋は梶の葉紋。
社殿の屋根瓦に梶の葉紋が付けられている。
高梨氏居館跡 | 高梨氏居館跡 |
社頭 |
参道 | 参道 |
境内社殿 |
社殿 | 扁額 |
西宮神社 | 秋葉神 |
松尾社と大黒天? | 大黒天?内部 |
大きな恵比寿・大黒天石像 |
庚申塔など | 天王神輿庫か |
境内 |
○境内には、別に弥栄(八坂)社(素盞鳴命・高市神)・松尾社(少彦名命) 西之宮神社(八重事代主命)・大黒天(大国主命)が祀られております。
−境内由緒書− 王日神社由緒 当神社の祭神建御名方の命は、其の昔大平山(王日良山)に鎮座して居り、日野社と称したりしを、観応二年高梨氏の居城の傍なる、現社地に奉遷したるなりと言う。 天正年間洪水あり、社殿流失し文禄元年これを再建し、文化七年四月、更に本殿を改築せり。元治元年八月、神祇官に請いて王日神社と改称せり。幕府社領高二石を附す。明治六年六月郷社に列せらる。 −『平成祭データ』− |