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坂城神社
さかきじんじゃ
長野県埴科郡坂城町大宮1205
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式内社 信濃國埴科郡 坂城神社 |
長野県の坂城町にある。
しなの鉄道・坂城駅の北800mの坂城町大宮に鎮座。
坂城は江戸時代、北国街道の宿場町として栄えた「坂木宿」の地。
坂城駅から、真っ直ぐに北上すると、
公民館の横に木製の鳥居が建っている。
鳥居から、さらに狭い車道の坂道を上っていくと境内。
社前の交差点には、背の高い木が聳えている。
垣に囲まれた境内に入ると、参道に鳥居。
鳥居の奥、階段の手前には江戸時代の凛々しい狛犬がいる。
境内は広く、立派な木も多い。
境内の中央奥に、大きな拝殿があり、
拝殿の後方、垣に囲まれて流造の本殿がある。
本殿の左手に、小さな石祠が並んでおり
その中央に、上に続く小さな階段があって
階段の上に小さな石祠が意味ありげに置かれているのだが、なんだろう。
社殿の右手には、いくつかの境内社や石碑・石祠が祀られている。
当社は自宅に近いので何度か参拝しているが、
いつも天気の良い日の参拝で、木々の間から差し込む陽の光と木陰のため
コントラストの強い写真になってしまう。
創祀年代は不詳。
式内社・坂城神社に比定されている古社。
口碑によると、
景行天皇四十年、日本武尊が東征のおり、
碓氷峠から埴科の県に来られた時、
当地日野の里(日名)で住民と共に祖神を祀ったのが起源。
その後、天武二年(673)、この地で治国平天下を祈念して
社殿を奉建したのが当社の創祀であるという。
坂城郷の郷社として、中世以降は坂城大宮と称された大社。
境内地は、五里ケ峯(1094m)の南麓にあるが
五里ケ峯には戦国武将の村上氏居城・葛尾城などがあり、
境内の近くには村上氏館跡・満泉寺がある。
天文二十二年(1553)、城主・村上義清が、武田晴信の攻略にあい
越後へ走った際、兵火にかかって社殿が焼失し、古記録等も焼失した。
その後、武田晴信によって社領が寄進され復興したという。
明治四年に郷社に列格し、昭和十二年十一月県社に昇格した。
境内左手には厳島神社、境内右手には、「甲子」や猿田彦大神などの石碑。
天満宮、蚕国神社、子安神社、古峯神社などが祀られている。
本殿には梶紋の神紋が付けられている。
本殿の梶紋には根のようなものが見られるが、
社務所の幕には、普通の「立梶の葉」だった。
参道 | 参道鳥居 |
社頭 |
境内鳥居 | 境内参道 |
狛犬 | 狛犬 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
厳島社 | 本殿左手に石祠群 |
甲子などの石碑 | 猿田彦大神 |
天満宮 | 蚕国社 |
古峯社 | 子安社 |
坂城神社由緒 今を去る1900余年前、景行天皇の御代、皇子日本武命東征の折、日野の里(日名)に住せし時、御陵が峯(五里ケ峯)の麓の霊地に奉祀せられ、天武天皇白鳳二年(西暦673年)社殿奉建されるといわれている。 延長五年(927年)延喜式発令され、全国3,132社として延喜式神名帳に登録され、毎年2月4日国司長官ともに幣を奉り、豊年を祈年したと伝えられる。 −『平成祭データ』− |