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安曽神社
あそじんじゃ
長野県上田市古安曽1500
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長野県上田市にある。
独鈷山の麓、古安曽に鎮座。
上田電鉄別所線の下之郷駅から65号線を1Kmほど南下し、
82号線を西の別所温泉方向へ、さらに1Kmほど進むと、
82号線の南に境内がある。
境内入口は東向き。
参道脇には「郷社 安曽神社」と刻まれた社号標が建ち
鳥居をくぐり、木々の参道を進むと、立派な隨身門がある。
隨身門の中には、左右に隨身像が安置されている。
門をくぐると、砂利の境内。
境内西奥に、両翼を広げた形の拝殿があり、
拝殿の後方、垣の中に流造の本殿。
拝殿の右手に、当地の地主神・石上布留社。
左手には子安社が祀られている。
信州の神社境内には、子安社は祀られていることが多い気がするのだが
浅間山と関連があるのだろうか。
当社は家の近くにある神社。といっても歩いて参拝するには遠い場所。
社前の道は、信州の鎌倉道と呼ばれ、古社寺が多い地域で
何度も参拝、訪問しているのだが、今回初めてカメラ持参で参拝した。
創祀年代は不詳。
鈴子、石神、柳沢、三ケ村の産土神として崇敬される神社。
古安曽は、もとは九州阿蘇に居住した一族が移り住んできた場所らしく
彼らが奉斎した神社なのだろうか。
社伝によると、
崇神天皇の御宇、国家安泰を祈願し、各地に天社国社を建てた時、
御震筆阿曾山舎社阿曾大明神の御勅額が奉納されたという古社。
清和天皇貞観年中(860頃)、
信濃権守岑嗣が阿曽山舎社(あそやまがしゃ)を再建。
光孝天皇仁和四年(888)七月、御震筆阿曾大明神御勅額が奉納。
その後、破損衰退していたが、
寿永年中(1185頃)、源頼朝が諸国の神社を修理させた時、
当地の地頭芳沢民部介光綱が、石上布留社境内に阿曽社を建立して遷座した。
現在は、石上布留社は境内社となって社殿の右の小社に祀られている。
明治二十九年九月、郷社に列した。
諏訪神を祀る神社なので、神紋は梶紋。
境内の左手の林の中は、手作り感のある「マレットゴルフ場」になっている。
「マレットゴルフ」とは、ゲートボールのようなスティックを使うパットゴルフ。
だが、実際にマレットゴルフで遊んでいる人を見たことが無い。
その林の中に、蚕影社、神明社、男石社、天神社、三峯社が祀られている。
社頭 | 鳥居 |
参道 |
隨身門 | 境内 |
左の隨身像、虎の敷き物は絵です | 右の隨身像 |
社殿 |
拝殿と石上布留社 | 本殿 |
拝殿左の子安社 | 拝殿右の石上布留社 |
蚕影社 | 御柱 |
神明社 | 男石社 |
三峯社 | 天神社 |
−境内案内板− |