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須須岐水神社
すすきみずじんじゃ
長野県千曲市大字屋代1858
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式外社 須々岐水神 三代実録 |
長野県千曲市(旧更埴市)屋代にある。
屋代駅の北700mほどの突き当たり、横町交差点。
南向きの鳥居が、その突き当たりに立っている。
鳥居の右横には、火の見櫓が立っている。珍しい。
「すすきみず」という社名は、「すすぎ」の「みず」ということだろうか。
拝殿前に大きな灯籠があるのだが、
参拝中、多くの鳩が留っていて、ちょっと驚いた。
現在の主祭神は、大國主命や生魂命となっているが、
本来は,水神である罔像女命や、速秋津彦命、速秋津姫命だと思われる。
『神社名鑑』では、そちらが記されている。
『埴科郡志』によれば、当社が本来の式内社・祝神社であったようだが、
中世には国照神社と称し、また、日吉神を合祀したため、
「山王さん」とも呼ばれるようになり、
祝神社の名を、松代の諏訪神社に許可した。
現在、その祝神社は境内社として祀られている。
当社が式内社・祝神社であれば、ば白鳳二年(651)、
屋代駅の近くにある一重山の腰惣に創建されたことになる。
境内には、祝神社の他にも、多くの境内社がある。
それらのほとんどは、石の上に「置かれて」祀られている。
このように、移動自由の置く形が本来の社殿の姿なのだ。
鳥居 |
社殿 | 本殿 |
養蚕神社 | 扁額 | 高見社 |
高市大神社 | その他の境内社 |
境内社 祝神社 | 燈籠に鳩 |
須須岐水神社 旧郷社 更埴市屋代 祭神 速秋津彦命 速秋津姫命 罔像女命 他七柱 例祭 五月一日 本殿 住吉造 一二坪 境内 一〇一三坪 氏子 八百戸 由緒沿革 貞観九年従五位を授けられた国史 現在社で、貞観年中金刺人正長、当郷に在城 の時、洪水の為里民頗る困難を極めたので常 に崇敬の日吉の神を合祀して其の災を免れ た。古来水神として崇敬せられ、一八ヶ村の 総社であった。維新の際須須岐水神社と改称 し、明治一四年郷社に昇格す。 −『神社名鑑』− 明治四十三年、埴科郡役所が編纂した『埴科郡志』にも次のやうに、 記載されてゐる「郷社須々岐水神 社は、元式内祝神社なるべきも中世國照神社と稱し、又雨 宮と神事を共にするに及び、山王社と呼べり。故に寛延四 年祝神社の號を松代の諏訪社に許可せらる。因りて天明元 年改めて須々岐水神社の社號を受く、屋代、埴生、杭瀬下、 雨宮縣、森倉科六町村の水神として尊崇する所なり。」−『式内社調査報告』− 祝神社の説明
祭神
祝神社は社伝によれば白鳳二(六五一)年 一重山の腰惣に創建という。平安時代には 延喜式の神名帳に列した。鎮座の地は幾多 変遷の後、明治四十二年に一旦当地にあっ たが、故あって一重山北端の尾根の東の地 に鎮座した。しかし当地に永久の奉祀を願 い再び鎮座して、平成十一年五月二十二日 鎮座の祝典を挙行した。 −境内案内− |
【 須須岐水神社 】