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健御名方富命彦神別神社
たけみなかたとみのみことひこかみわけじんじゃ
長野県長野市大字長野字本城東2411
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式内社 信濃國水内郡 健御名方富命彦神別神社 名神大 |
長野県長野市にある。
長野駅の北1Km、善光寺の東、
美術館の横、城山公園の側にある。
かっては城山一帯が境内だったらしい。
坂道の途中に、南向きの境内入口。
階段を登ると、赤い大鳥居が建っている。
鳥居の左側に社号標。右側に社務所があり、
広い境内の中央にある参道を進み、
さらに階段を登ると、社殿のある境内。
拝殿は瓦葺・入母屋造。
背後に石積みの上に流造の小振りな本殿が鎮座。
拝殿の左右に脇拝殿が付属しており、
左側の脇拝殿には扁額が無かったのだが、
右側の脇拝殿には「地主大神」と記された扁額が掲げられているので
中に地主大神が祀られているのかも。
境内左手に、四本の御柱が並んで立てられていた。
参拝は五月の日曜日の早朝。
朝日が昇った頃、6時前。
長野市は県庁所在地なので、昼間は車が多く
ストレスを感じるので、町がまだ寝ている時刻に訪れた。
創祀年代は不詳。
社伝によると、祭神・健御名方富命が
出雲より信濃へ入国の際、しばらく善光寺近辺にお住まいになり
先住の地方民を教化し、その後、諏訪へ移られたという。
式内社・健御名方富命彦神別神社の論社だが、
であれば、主祭神は彦神別命であるはず。
彦神別命は諏訪神の御子神の長子とされている神。
持統天皇五年(691)勅使を遣わされ、
諏訪大社と共に風祝(かぜのはふり)の勅祭が行われ、奉幣の儀があり、
承和九年(842)神階従五位下が贈られた。
嘉祥三年(850)従五位上、仁壽元年(851)従三位、
貞観元年(859)正三位、貞観三年従二位、貞観九年正二位と進み
延喜の制では名神大社となった。
延文二年(1357)の『諏訪大明神画詞』に
善光寺境内の諏訪社として記されており
神仏習合の結果、善光寺の守護神となり
明治までは、善光寺北側の年神宮であったが、
明治十二年、城山の現在地に遷座し、
同年六月、県社となり、城山県社と通称されている。
社殿左手に境内社が二つ、
木匠祖神社と千幡社が祀られている。
境内には多くの石碑や句碑がある。
一番大きなものは、社殿右手の「明治天皇駐蹕之処碑」。
明治十一年に明治天皇を迎えた館が、ここにあったようで、
当社が、当地に遷座される以前のこと。
社頭 | 鳥居から境内 |
境内 |
参道 | 社殿 |
社殿 | 社殿 |
境内片隅に御柱 |
本殿 | 本殿 |
千幡社 | 木匠祖神社 |