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力侍神社
りきしじんじゃ
[和歌山旅行] 和歌山県和歌山市川辺61  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴


丸に花沢瀉

式内社 紀伊國牟婁郡 天手力男神社
旧村社

御祭神
天手力男命

摂社 八王子神社

和歌山市、川辺地区、国道24号線の北の畑の中にある。
周囲は畑で、農道の中に参道が北へ延びる。
川辺王子跡である。

境内には、同様の規模の社殿が二棟あるが、
向かって左が本殿、右の大きな社殿は摂社の八王子神社。
どちらも黒塗りの社殿に彩色が施され、美しい。
桃山時代の建築と考えられ、県指定文化財になっている。

神紋は二棟の社殿に付いていたもの。
力侍神社本殿には三つ巴が、八王子神社社殿には沢瀉だった。

式内社・天手力男神社の論社の一つ。
天手力男神社は、牟婁郡の式内社だが、
このあたりは、牟婁郡ではなく、名草郡であるため、
『紀伊続風土記』では、
牟婁郡の大斎原からの遷座ではないかと推定している。

『和歌山県神社誌』では、大斎原から和歌山市神波字桑畑へ遷座し
その後、和歌山市上野にあった八王子神社境内に遷り
さらに、力侍神社は寛永十一年十二月八日、
八王子神社は寛永元年十二月十五日に、
御神託により現在地に遷座したとある。

社地は、昭和三十三年四月、
熊野古道九十九王子社の一つ・川辺王子跡として史跡に指定された。

垣内に流れ造の社殿が二棟。
左が力侍神社本殿、右が摂社八王子神社社殿。


参道の鳥居

境内

川辺王子跡

力侍神社神門

八王子神社神門

社殿

力侍神社本殿

摂社 八王子神社

社殿

末社 八幡宮・大神宮・春日社か

『紀伊續風土記』名草郡田井荘川邊村の條に次の如く述べてゐる。 本國神名帳従四位上雨手力男神 村の乾二町半許にあり八王子社舊は上野村に在し力侍 神社舊は神波村に存ししに中古力侍神社を上野村八王 子の境内に遷し奉り後又両社とも此地に遷し奉れり因 て両社一境内に並ひ祀れとも岬の來由各異なり 力侍神社又権現社と云按するに本國神名帳名草ノ郡従 四位ノ上雨手力男神即是なり神名力侍の義は手力男の 稱より轉て力士の稱を生し又一轉して力侍の文字を用 るなるへし按するに延喜式神名帳牟婁郡天手力男神社 あり今是を其地に求るに其神なし疑ふらくは式の後此 地に遷し奉りしより本國神名帳には牟婁ノ郡になくし て名草郡に書せしなるへし那賀ノ郡神領村海神神社と同列ならむ 寛永記に 天正の乱に神田も没収せられ寶物古文書皆紛失すとい ふかはかりの大社なれともかく様々の變遷に罹り給へ は神の原由も世に明ならさるに至り給へり祭禮六月十 日九月十日なり詳に考定部に見江たり

−『式内社調査報告』−



最終更新日:2013/10/09
【 力侍神社 】

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