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まづ『紀伊續風土記』に據るに
小田神社 境内周二町
と見え、また『特選神名牒』もこの續風土記説によつて、また
延喜式神名帳小田神社 本國神名帳伊都郡從五位上小田神 村中にあり、郡中丹生神社を除きては式内の神は當社 のみなれば、上古は大社にして、朝野共に尊敬深かり けんに、數度の丘亂を經て社地哀廢し、祠も廢絶せし を、南龍公歎かせ給ひて、境内に石の寶殿を建させ給 ひ、小田神社の字を刻ましめ給ふ。森の廣さも古は境 内方四町もありし由なれども、今は周二町許なり。此 邊田地の字に神田といふもあれば、古は神領も多かり しなるべし。小田は地名にして、祭神詳ならず。 或はいふ、『舊事記』に物部ノ建彦ノ連公は小田ノ連 等カ祖とあり、是によるに當社の小田は姓にて、小田 ノ連此地に居り、其祖物部建彦連公を祭りしより小田 社といふならんか。
今按ずるに、『紀伊國續風土記』に小田は地名にして
祭神不詳、或は云ふ舊事記に物部建彦連公は小田連等
の祖とあり、是によるに當社の小田は姓にて、小田連
此の地に居り、其の祖物部武彦連公を祭りしより小田
社と云ふか。『本國神名帳』に從五位上小田神社とあ
り、授位の年代詳かならず。
と見えてゐる。蓋し、兩書に考察のごとく、舊事記にいふ
小田連等の祖の物部建彦連公にして、當社の小田は姓によ
るもので、小田連この地に居り、その祖物部建彦命を祭り
しより、小田社と呼ばれてゐるのであらう。なほ萬葉集に、
勢能山を詠める作者に、小田事主といふ人も見えてゐる。勸請年月等、不詳。明治六年四月村社に列してゐる。 −『式内社調査報告』− |