HOME [HOME]  >  [神社記憶]  >  [関西地方]  >
メニューを消去する。ページを印刷するために。 印刷用ページ


建部大社
たけべたいしゃ
[滋賀旅行] 滋賀県大津市神領1−16−1  Zenrin Data Com Maps display !!


三本杉


十六八重菊


丸に三つ葉葵

朱印のページへ!!

式内社 近江國栗太郡 建部神社 名神大
近江國一宮
旧官幣大社

御祭神
日本武尊
相殿 天明玉命 権殿 大己貴命

大津市神領にある。
琵琶湖の南、瀬田川の東岸、瀬田の唐橋から東へ500mに鎮座。
瀬田駅の南西2Km、石山駅の南東2Km。
東西に走る道路から、少し北へ入った場所。

朝日を浴びた鳥居から、短い参道が北へ延びて神門。
神門をくぐると、拝殿の前に、御神木の三本杉。

創祀年代は不詳。
社伝では、景行天皇46年稲依別王(日本武尊の子)が勅を奉じて、
神崎郡建部郷千草嶽に、日本武尊を奉斎し、
天武天皇白鳳4年、勢田郷へ遷座したという。

祭神は、現在、日本武尊を主祭神とし、
相殿に、天明玉命を祀り、
天平勝宝7年、大和三輪より大己貴命を勧請し、権殿に祀る。

祭神に関する考証は古来多く行われ、
日本武尊説、大己貴命説、稲依別王説の3通り。

建部大社が、建部君がその祖神を祀ったと考えられ、
大己貴命は、後から勧請されたと考える説が有力。
建部君は、日本武尊の子・稲依別王から発した犬上建部君と、
おなじく日本武尊の子・稚武王を祖とする近江建部君があり、
どちらが、当社の創祀にたずさわったかによって、
稲依別王とする説も、考えられないことではないが、
どちらにしろ、日本武尊で良いのではないかと思う。

稲依別王に関しては、
古事記では、日本武尊と
安国造の祖・意富多牟和気の女・布多遅比売との間に生れた子。
日本書紀では、両道入姫皇女との子。


境内入口

参道と神門

境内と三本杉

拝殿

拝殿

本殿は、二棟並んだ流造。西側の社殿は権殿とよばれるもの。
権殿とは、仮殿のことで、本来は社殿造営時に
神を仮に遷し祀る建物のこと。
現在は、この権殿に大己貴命が祀られている。


二棟並んだ社殿

権殿と本殿

権殿

本殿

拝殿左右には、小振りだが美しい境内社が並ぶ。
向って左側の境内社、左から、
末社・蔵人頭神社(七掬脛命,料理の祖神)
末社・行事神社(吉備臣武彦 大伴連武日)
摂社・大政所神社(播摩稻日太郎媛)
摂社・聖宮神社(大足彦忍代別命)

右側の境内社、右から、
末社・箭取神社(石占横立 田子稻置 乳近稻置)
末社・弓取神社(弟彦公)
摂社・若宮神社(稻依別命)
摂社・藤宮神社(布多遲比賣命)

他にも以下の境内社がある。
大野神社(草野姫命)、
稲荷神社(稻倉魂命)、
八柱神社(藤時平 合祀 融大臣 事代主命 市杵嶋姫命 素盞男命 豊玉彦命 櫛名多姫命)、
檜山神社(伊邪那美命 合祀 息長足姫命 武内宿禰 住吉大神 大山祇命)

境内には、重要文化財の石燈籠・文永七年(1270)など。


拝殿左の境内社
蔵人頭社 行事社 大政所社 聖宮社

拝殿右の境内社
藤宮社 若宮社 弓取社 箭取社

八柱神社

稲荷神社

大野神社

檜山神社かな

御神石

重要文化財の石燈籠

近江一の宮
  建部大社
御祭神
 本殿 日本武尊
 相殿 天明玉命
 権殿 大己貴命
由緒
当社は近江国の一の宮と称え られ、景行天皇四十六年(西暦三一六) 四月神崎郡建部郷千草嶽に、 日本武尊の御神灵を建部大神 としてお祀りしたのが創りである。
天武天皇白鳳四年(六七五)四月に近江 国府のあった瀬田の地にお迂し、此の 国の守護神として仰ぎ奉られる様に なった。天平勝宝七年(七五五)には 孝徳天皇の詔により大和一の宮大神 神社から大己貴命を勧請し権殿に 奉祭せられ現在に至っている。
例大祭 四月十五日
船幸祭 八月十七日

−由緒書きより−


由緒
 当社は古来建部大社、建部大明神などど称え、延喜式内名神大社に列し、 又近江国の一之宮として朝野の崇敬篤く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社である。 御祭神日本武尊は御年僅に十六才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、 遂に三十二才にして伊勢の能褒野に於て崩御されましたが、父君景行天皇は尊の死を いたく歎かれ御名代として建部を定め其の功名を伝えられたことが日本書記に 記されているのであるが、これが即ち建部の起源である。
 景行天皇の四十六年神勅により御妃布多遅比売命(父は近江安国造)が、 御子稲依別王と共に住われた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが 当社の草創であって、その後天武天皇白鳳四年当時近江国府の所在地であった 当瀬田の地に迂祀し、近江一之宮(其の国を代表する第一位の神社)として 崇め奉ったのが現在の当大社である。
 歴朝の御尊信篤く、武門武将の崇敬枚挙に遑なく、就中源頼朝は、 平家に捕われ、十四才にして伊豆に流されるため、京都から関東に下向の折、 永歴元年(1160年)三月二十日当社に参篭して前途を祈願した事が 平治物語に記されている。頼朝は遂に源氏再興の宿願成って、建久元年(1190年) 十一月右大将として上洛の際再び社前に額き襄年蒙った深い神助に対し、 幾多の神宝の神領を寄進して奉賽の誠を尽されたのである。爾来当大社が出世開運、 除災厄除、商売繁昌、縁結び、医薬醸造の神として広く崇敬される所以であり、 明治十八年四月官幣中社に、同三十二年七月官幣大社に列し、国家最高の社格を与えられた。 昭和五十年四月十五日御鎮座壱千参百年式年大祭を斎行し、これに伴う記念諸事業の完遂。 そして平成二年三月十七日には本殿遷座祭を斎行し御社頭は面目をあらたに、御神威の程畏き極みである。

−『平成祭データ』−



最終更新日:2013/10/09
【 建部大社 】

ボーダー




関西地方
japanmap
全国 北海道・東北地方 関東地方 甲信越地方 北陸地方 東海地方 関西地方 中国地方 四国地方 九州・沖縄地方
綾部市
宇治市
乙訓郡 大山崎町
亀岡市
宮津市
京丹後市
京都市 北区
京都市 上京区
京都市 左京区
京都市 中京区
京都市 東山区
京都市 下京区
京都市 南区
京都市 右京区
京都市 伏見区
京都市 西京区
船井郡 京丹波町
南丹市
八幡市
舞鶴市
福知山市
与謝郡 伊根町

磯城郡 三宅町
磯城郡 川西町
磯城郡 田原本町
宇陀郡 御杖村
宇陀郡 曽爾村
宇陀市
橿原市
吉野郡 下市町
吉野郡 吉野町
吉野郡 十津川村
吉野郡 川上村
吉野郡 東吉野村
御所市
高市郡 高取町
高市郡 明日香村
桜井市
山辺郡 山添村
生駒郡 三郷町
生駒郡 斑鳩町
大和郡山市
天理市
奈良市
北葛城郡 河合町

堺市 西区
三島郡 島本町
四條畷市
大阪市 天王寺区
大阪市 阿倍野区
大阪市 住吉区
大阪市 中央区
東大阪市

佐用郡 佐用町
宍粟市
洲本市
神戸市 長田区
神戸市 垂水区
神戸市 中央区
西宮市
赤穂郡 上郡町
赤穂市
淡路市
朝来市
南あわじ市
美方郡 香美町
美方郡 新温泉町
姫路市
豊岡市
養父市

蒲生郡 日野町
近江八幡市
栗東市
犬上郡 多賀町
湖南市
甲賀市
高島市
守山市
草津市
大津市
長浜市
米原市
野洲市