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吉野水分神社
よしのみくまりじんじゃ
[奈良旅行] 奈良県吉野郡吉野町吉野山字子守1612  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 大和國吉野郡 吉野水分神社 大 月次新嘗
旧村社

御祭神
正殿 天之水分神
右殿 天萬栲幡千幡比咩命 玉依姫命 天津彦火瓊瓊杵命
左殿 高皇産靈神 少名彦神 御子神

奈良県吉野町にある。
吉野山(858m)の中腹、近鉄吉野駅から約2.5Km登った子守に
西向きに鎮座。

道路脇に朱の鳥居が立ち、階段を上に楼門。
この鳥居は、一見両部鳥居のようだが階段途中にあるためか、
後ろにだけ稚児柱がある珍しい形。

楼門を中心に廻廊の中が境内。
楼門をくぐると、左手に拝殿、正面に幣殿。
右手石垣の上に、三棟連結された本殿がある。
境内の中心が中庭のような形式で、非常に珍しい。

参拝は二月の初め。この辺りから道路は雪で凍結していた。

創祀年代は不詳。

通称、子守明神と呼ばれる神社。
「子守」は、水分(みくまり)からの転訛と考えられている。

大和国四水分社の一つ。
本来は、分水嶺に祀られた、水の配分を神格化したものだが、
子守の音から、子供の守護神、子授けの神として信仰されている。
神宝として、子守の代表神であり、本社に配祀されている
玉依姫命の神像(国宝)があり、日本第一の美女神像であるらしい。

もとは、象川上流に祀られており、元水分社跡があるらしい。
その辺りには、縄文中期から奈良朝におよぶ宮瀧遺跡があり、
そこに住んでいた人びとの祭祀と関連していたようだ。

その後、大同年間に、旧地から現在地に遷座されたという。

鎌倉以降、金峯山修験の興隆により、
当社も社僧の管理する行場となったが、
明治の神仏分離により社僧が廃止された。

現在の社殿建物は全て、豊臣秀頼による再建。
案内板によると、文禄三年、豊臣秀吉が当社に祈願した結果、
秀頼を得たことへのお礼だそうだが。

吉野山の麓は、朝日が当って少し暖かかったが、
ここではまだ冬。境内は無人だった。

拝殿に座って、しばらく本殿を眺めていたが、
寒かったので、すぐに金峯神社へ向った。


鳥居

後ろにだけ稚児柱

楼門

境内(楼門をくぐって左手に拝殿、正面に幣殿、右手に三棟並んだ本殿)

右殿

正殿

左殿

本殿

奥の幣殿に
子守大明神

子供の皮膚の守護神
柴神社

この柴を灰にして
患部に塗る

吉野水分神社
    別称 子守宮
御祭神右殿
正殿
左殿
天萬栲幡千幡比咩命 玉依姫命 天津彦火瓊瓊杵命
天之水分神
高皇産靈神 少名彦神 御子神
由緒沿革
創立年代は不詳ですが一千年前の延喜式神名帳にすでに大月次 新嘗に案上官幣に預る旧社にて大和四処水分の第一として記され 吉野八大神祠の一社で俗に子守大明神と申されます
水分とは「水配」の意味で水を程よく田畑に配分する神様で毎年四月 三日に五穀豊穣を祈る御田植祭が盛大に行われ、その神事は吉野町の 無形文化財として指定されています
当社が子守の神になった事については「水配」が「みくまり」「みこもり」 「こもり」と転訛して子供を護る神 子供を授ける神になったと言われています
棟につないだ珍しい建築様式で水分造と申されます 現在の建築は 豊臣秀吉が文禄三年に吉野山へ花見に来られた時、当神社に祈願して 秀頼が授かりそのお礼として慶長三年に再建の工を起された後、秀頼が 父秀吉の遺志をつぎ建部内匠頭光重を奉行として慶長九年 九月に完成されたもので華麗かつ精巧を極めた桃山時代の代表 的神社建造物として建物全部が国の重要文化財として指定 されています
神社の宝物としては重文の釣燈籠 神輿 湯釜等秀頼寄進 の銘のあるものが社殿に置かれています
御祭神の玉依姫命の御神像は日本第一の美女神像といわれ 国宝に指定されています
国学の泰斗として有名な本居宣長はこの子守の社の申し子 として名高く宣長の著である菅笠日記にそのことがよく書かれています
今も子供を授ける神 子供を護る神 安産の守護神として世間の 信仰をあつめ全国各地よりの参詣が絶えません
宣長翁が当社へお礼参りの折に詠まれた歌に
  みくまりの 神の誓ひの なかしせば これのあが身は 生れこめやも
  ちちははの昔想へば 袖ぬれぬ みくまり山に 雨はふらねど


−社前案内板−



吉野水分神社
子守宮御神徳畧記
 本殿 中央春日造、左右流造、檜皮葺
 幣殿 単層切妻柿葺
 拝殿 入母屋造、柿葺
 桜門及廻廊 重層入母屋造、栃葺、単層切妻栃葺、以上桃山時代代表建築(重要文化財)

 奈良県吉野郡吉野町大字吉野山鎮座の吉野水分神社は、延喜式神名帳に、吉野水分神社大月次、新嘗、とある旧社にして、大和四処水分の第一に数えられ、吉野八大神祠の一つ、あめのみずわけで、俗に子守明神とも申されます御主神は天之水分大神でありまして、水戸の神の御子神にて、続日本記文武天皇二年夏四月戌午奉馬乎吉野水分神祈雨也とあり、みくまりは水配りにて、山谷より流れ出づる水を、程よく田畑に配分して、灌漑の便を図り給う神であります。もと灌漑の便を図りて稼植の事を掌理し給ふ神でありますが故に、古来風雨順ならず、早天などうちつづきて、稼植を損ふが如きことある時にはいつも朝廷より、馬及び御幣物を奉献して、この神に祈り給ふを例とせられしのみならず、中古神祇官に於て行はせられし祈念祭及び六月、十二月の月次祭には、案上官幣に預る大社である事は、延喜式の祝詞に徴しても明白の事実であります。されば当社にては、古来大祭として盛大なる御田植祭を執行し、遠近の氏子崇敬者御恩頼を蒙り、又神恩に奉賽するを恒例となってゐます。又当社の事を、古くより子守宮といひ伝へ神名帳考証などにも吉野水分神社大月次 新嘗祭水神今伝子守明神とありて、世人はこの神社を出生育養即ち幼児守護の神として崇拝し、既に豊臣秀吉も、この神に祈願して、秀頼を設けその縁によりて慶長年中建部内匠頭光重を奉行とし建築再建に当らしめたるものにて、現に建物全部が重要文化財に編入せれれ居るは、其の当時再建のままの建物であり、それが桃山時代の豪華をもってするので華麗であり、精巧を極めています。国学者の泰斗として有名なる本居宣長翁も、翁の父母が、この神に祈請をこめし霊験により生れたという事が、翁の三度迄も当神社に詣でて報賽せられ、その折詠み残されし和歌によりても明白であります。
   吉野山花は見ぬとも水分の神のみまへをおうがむがよさ
   水分の神のちかひのなかりせばこれのあが身は生れこめやも
   父母の昔思へば袖ぬれぬ水分山に雨はふらねど

水分神を、幼児の守護神といふこと、如何にも不審らしく思われますが、それは当神社の御祭神は、御主神の外に、尚六柱ありまして御正殿の右方の御殿には天満栲幡千幡姫命玉依姫命天津彦火瓊々杵命を奉斎し、左殿には高皇産霊神、少名彦神、御子神を奉斎しあれば、これにてそのいわれは知れます。
まづ右殿千幡比売命と、瓊々杵命とは親子にて、左殿の三柱も、皆親子神であります。殊に栲幡千幡比売命は、高皇産霊神の御子神でありますが上に天照大神の御子正哉吾勝速日天忍穂耳尊に配し給ひて、瓊々杵命を生みまし、保育そのよろしきを得て、聡明英達、この国土に降臨され、皇祚の基を建て給ひ、又玉依姫命は、御姉豊玉姫命にかわりて鵜草不合葺尊を御保育し、後に不合葺尊に配し給ひて、神武天皇を生み奉り、その保育又よろしきを得て神武天皇が終にこの大和の国に於て日本国の紀元を御創立遊ばされし、いとも尊く、いとも目出度瑞祥の存するを以て、この二姫命を幼児守護の神として子守神社とたたへ庶人の尊崇するに至りし事、極めて道理ある事であります。
以上略述いたしましたとおり、水分神社といふは、御正殿の天水分神によりて唱へ奉る称号にて、主として山々谷々より流れ出る荒水を甘水になして、程よく田畑に分賦して、稼植を成熟せしめ給ふ農業御守護の方よりたたへ奉り、子守宮といふは、左右両殿に奉斎せる神々によりてたたへ奉れるにて、上にいへる如く、御祭神に出生保育、幼児守護の大功徳を備へ給へるにより、何時とはなく唱へ奉る称号であります。
祭神の玉依姫の命の御神像は、日本第一の美女神像にて現在は国宝に指定されています。およそ等身大彩色十二単衣をまとい、端麗豊頬でお目の下にあるかなきのか微笑をふくみ慈愛柔かさは、面長下ぶくれの高貴さと相映えて王朝時代の貴女の気品を備え、えくぼまで表出されていて愛児に呼びかけてゐる生きた女神といった感じがあって御子守の神にふさわしく緑豊けき頭髪を中央から左右にわけて両肩から背後に垂れ衣紋は肩先から膝の上へ全体が正三角という美学の原則そのままであります。尚天満栲幡千幡姫命の御神像も重要文化財に指定されてゐます。
因に、現今の本殿は、大正十五年五月、奈良県庁の監督の元に修理の工を起し、昭和二年八月三十日を以て修理完成いたしました。此の要せし工費二万五千余円にて、尚弊殿は引続きて修理の工を起こし、昭和三年九月此修理竣工いたしました。此工費壱萬五千余円でありました。
又、桜門及廻廊は昭和六十一年一月奈良県文化財保存事務所の直営にて解体大修理の工を起し昭和六十二年八月末を以て修覆が終り四百年前再建当時を偲ばせる姿になりました。此の要せし工費壱億弐千萬余円でありました。
 神社の宝物としては
  神輿 社殿と同時代の物にして八角八ツ棟造であります
  湯釜 往昔御湯と申し禊祓に使用せしものなり
            総高 二尺九寸  径一尺七寸
  紫燈 大小二基あり 大 高四尺四寸余  小 三尺六寸余
     湯釜、紫燈は皆鉄にて造らる
  釣燈篭 八角にして金銅製一対あり
      以上全部慶長九年豊臣秀頼郷の寄進によるものであります
  三十六歌仙 此額は道光親王の御筆にして画は狩野永徳の画かれたものです
  祭日 一月一日・新年祭、二月四日・古札焼納式、二月二十一日・祈年祭、四月三日・御田植祭、四月十九日・春季若宮祭、十月十六日・御例祭、十月十九日・秋季若宮祭、十一月二十三日・新嘗祭、毎月一日十五日・月次祭、十二月三十一日・大祓

−『平成祭データ』(原文ママ)−



最終更新日:2014/08/14
【 吉野水分神社 】

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