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 にうかわかみ なかしゃ
[奈良旅行] 奈良県吉野郡東吉野村小968

式内社 大和國吉野郡 丹生川上神社 名神大 月次新嘗
旧官幣大社

罔象女神
配祀 伊邪奈岐神 伊邪奈美神 天照大神 大国主命

とにかく道が狭い。狭い道を走っていると小さな鳥居が見えるが、それは横の鳥居。

通称、蟻通さん。拝殿から屋根付きの階段が山の上まで続き本殿がある。


丹生川上神社 旧官幣大社
鎮座地 奈良県吉野郡東吉野村小
御祭神 罔象女神
御例祭 十月十六日
当神社は天武天皇白鳳四年「人声ノ聞エザル深山吉野丹生川上ニ我ガ宮柱ヲ立テ以テ敬祀セバ天下ノ為ニ甘雨ヲ降ラセ霖雨ヲ止メン」との御神教により創祀せられ、雨師の明神・水神崇社として上下の尊崇殊の外篤く、天皇の行幸五十数度、祈雨止雨の奉幣祈願九十数度に及ぶ。
又当地は神代新嘗の女神丹生都比賣命が聖水を求めて巡行せられ、神武天皇建国神話の最高潮を彩る場所として古くより信仰上の聖地であり、吉野離宮の故地として喧伝されている。
今日では水道電力等水に関はる人々は勿論、木との縁から商売繁昌、酒造安全、又受験等の必勝の神として廣く信仰され、御神水を戴かれる人々も多い。

−境内由緒−

 丹生川上神社 上社は奈良県吉野郡川上村。中社は吉野郡東吉野村。下社は吉野郡下市町。通称に、上社は川上神社、中社は雨師の明神、または蟻通さん、下社を丹生社という(いずれも旧官幣大社。現、別表神社)。神武天皇の東征に際し、天皇の夢の中に天神が出現し、天香山の土を取って天平瓮八○枚、厳瓮を作り天神地祇を祀れば賊は平らぐという。天皇は丹生の川上にて誓をしたところ神意にかなっていたので、「丹生川上之五百箇直坂樹」で天神地祇を祀ったところ、賊の平定が容易に行われたという(『神武天皇即位前記』)。
 天平宝字七年(七六三)「奉幣千四畿内群神其丹生川上神者加黒毛馬旱也」とみえ、以後、祈雨のために黒馬を奉ることとなる。宝亀八年(七七七)白馬を奉られる、弘仁一○年(八一九)以後は貴布禰社とともに祈雨、止雨の祭を行われるようになり、延喜式臨時祭にも、貴布禰社と同じく黒毛馬を与えられる特別の規定がある。名神大社に列し、祈年・月次・新嘗等の官幣に預かる。同九年従五位下、寛平九年(八九七)従二位に叙せられた。また二二社の一に数えられている。
 これほどの名社も、応仁の乱以後、たとえば『親長卿記』明応五年(一四九六)には既に祈雨奉幣のための資力がないというような記事があり、丹生川上神社そのものの所在すら消息を失ってしまった。明治四年(一八七一)に至り、丹生大明神社(現下社)を官幣大社丹生川上神社としたが、これに対して寛平七年の太政官符にのる四至に適合しない、としてむしろ現、上社をあてるべきとする『大日本史』に従い、同七年、高靇神社を官幣大社丹生川上神社奥宮>とした。が、これにも異義の生ずるところとなり、同二九年、丹生川上神社を下社、奥宮を上社とした。さらに東吉野村の蟻通神社が、その社辺をとおる高見川を古代の丹生川であるとして請願したことからこれを中社と認定するに至り、このとき中社の祭神を罔象女神、上社を罔象女神から高靇神へ、下社は高靇神から闇靇神へ改められた。
 例祭=上社一〇月八日。中社一〇月一六日。下社六月一日。上社には末社の水神祭(一月三日)、山の神祭(六月七日)、愛宕祭(一〇月五日)、恵比須祭(一一月二三日)は当屋の職掌する祭である。中社の石灯籠(銘弘長三年丹生社)は重文指定。また近くのツルマンリョウ自生地は天然記念物。中社には例祭に八台の太鼓台を奉昇し、下社には祈雨止雨のための大古踊がある。

−『神社辞典』−