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式内社 紀伊國伊都郡 丹生都比女神社 名神大 月次新嘗 紀伊國一宮 旧官幣大社 丹生都比女神社公式サイトを開く 御祭神 第一殿 丹生都比賣大神(稚日女尊) 第二殿 高野御子大神 第三殿 御食都比賣大神 第四殿 市杵島比賣大神 合祀社 一澤神社 丹生都比賣神 中澤神社 丹生都比賣神,高野御子神 八王寺神社 天忍穂耳命,熊野久須比命,天菩卑命,多岐利比女命, 天津古屋根命,市杵島姫命,活津彦根命,田岐津姫命 辧財天神社 市杵島姫命 愛宕神社 迦具土命 天満神社 菅原道真 |
少し朝霧が残る境内は、瑞々しい空気に満ちていた。
深呼吸のしたくなる神社。
楼門から拝するが、第二殿・第三殿しか視界にはいらず、
そちらが主祭神のような感じだ。
四棟の本殿(各一間社春日造)の中には、それぞれ
徳治元年(一三〇六)の一間社春日造見世棚造の宮殿が
納められ、本殿四棟とともに重要文化財になっている。
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祭神は四柱で、第一殿に主神、丹生都比賣大神
を祀り、第二、第三、第四殿に、夫々に、高野御子大神、
御食都比賣大神、市杵島比賣大神を祀る。第一殿の祭神丹
生都比賣大神は、伊邪那岐大神の御子神、天照大神の御妹
神で、また稚日女尊とも申し上げる。社傳によれば天津彦
火瓊々杵尊、丹生津比賣を祀り給ひしに創まるといふ。
大神は謹んで父大神の旨を奉じ、神代この紀伊に御降臨あ
り、御子、高野御子大神とともに、紀伊及ぴ大和地方開拓
のため、各地を巡歴して洽く恩澤を垂れ給うたので、この
紀州のみにても大神を祭祀する丹生神肚が八十社の多きに
達し、御終焉の聖地天野の社地を本宮と定め、とこしえに
鎮座せられた(『丹生大明神告門』)。 神功皇后新羅を征せんとしたまふや、播磨に下りて諸神 に祈り給ふ。時に丹生都比賣神、國造石坂比賣命に著り 「よく我が前を斎かば、我れ善験を顯して容易く新羅を 平げん。」と仰せられ赤土を賜ふ。依りてこれを天逆矛 に塗り、舟師の舳艫に立てて海を渡り給ふに、神騒火をみ る如く、忽ち新羅を平げて凱旋し給うたので(『播磨風土 記』、御子・應神天皇にはその御報賽として、紀北の地に 廣大なる神地を寄せ給うた。その神堺は、真は丹生川の川 上より、西は應神山、星川の邊に及ぴ、南は阿諦川(有田 川)の南横峰より、北は吉野川に至る(註、後の高野寺領に あたる)廣大なものだつた(『丹生告門』)。 皇室の崇敬特に厚く、仁徳、天智、天武天皇の御代に神 戸各二戸を、元明天皇の御時同じく二戸及び神服を、光仁 天皇の御時に弓並に刀を、平城天皇の御時に造營の料物を 寄せられた。更に嵯峨天皇の御代勲八等に叙し、貞観元年 (八五九)從四位下に、次いで天慶、寛平に御陞階あつて、 從三位に進めらる(『丹生告門』)。延喜の制、名神大社に 列し、月次、新嘗の幣帛に預る。後、神階累進して壽永二 年(一一八三)從一位、元暦二年(一一八四)正一位の極位 に進み給ふ(『丹生文書』)。 第二殿の高野御子大神は、丹生都比賣大神の御子神であ らせられ、母神の御偉業を輔けて神功著るしく、元暦二年 同じく正一位の極位に進み給うた(『丹生文書』)。 今昔物語によるに、高野御子神、かつて獵夫の姿にて、 二犬を伴い、空海のために案内役となりて高野山に誘へる 事ありしより、之を狩場明神とも異稱し、丹生都比賣神と ともに、大師開山の時より密教擁護の御誓い浅からず、屡 々出現まして山上の興隆を守護し給ふ事諸書に見える所で ある(『本朝神社考』) 第三殿御食都比賣大神、第四殿市杵島比賣大神の兩大神 は、鎌倉時代の初め、承元二年(一二〇八)に、丹生祝と 行勝上人と共に神託を奉じ尼将軍の援を得て、敦賀の氣比 神宮と安藝の嚴島神社より勧請せられたもので、茲より四 社竝び祀られ、爾来、丹生四社明神、天野四社明神と稱せ られ今日に至つてゐる。 −『式内社調査報告』− |