合祀 式内社 紀伊國名草郡 麻爲比賣神社
菅原道真,麻爲比賣命,名草彦命,名草姫命
日前・国懸神宮の南約500m、南海貴志川線線路の西にある。
線路脇に鳥居があり、路地を入ると境内。
もと、日前・国懸神宮の摂社だった。
境内には幾つかの境内社があり、賑やか印象だ。
大正七年に、麻爲比賣神社を合祀したというが、
「式内社調査報告」では、確かな証なし、として否定。
日前・国懸神宮の境内社として祀られているという説もあるが、
現在、同社でも確認できず、廃絶と見る意見が妥当か。
社名の読みに関して、地名が「つはだ」だが、
大和・紀伊寺院神社大事典では、「つわだ」と記されている。
菅原道真が、大宰府へ流される途中に、ここに立ち寄り、
御子を中務家に預け、
「ふりかえりかえり行くかも別れにし、千早の杜の見ゆるかぎりは」
と詠んだ、その千早の杜である。
また、知和夜とも云い、麻爲比賣は、
知和夜姫とも呼ばれたらしいが、詳細は不明。
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津秦天満宮御由緒
当神社は、菅原道真公を主祭神とし、
「智恵の神」「学問の神」として崇敬され、「津秦の天神さま」として
親しまれている。
延喜元年(九〇一年)菅原道真公が大宰府に向われる
途中、和歌山吹上の浦に船をつけられ、当時、入海であった
津和田村の「千早の杜」(現当社地)をたずねられ、御子好寛公を
神前の郷、中務家に預けられ、
「ふりかえりかえり行くかも別れにし
千早の杜の見ゆるかぎりは」
と名残りを惜しまれた遺跡である。
紀伊続風土記によれば、筑紫の安楽寺より菅原道真公の
画像を勧請したとも、また当地の天神を敬信していた農民が
京都の北野天満宮に参詣した時の霊夢により、社殿を建てた
とも伝えられている。その後、御神体が一時、行方不明に
なっていたが、寛文年間(一六二七年)御神体を社殿に納め
奉斎の盛儀を挙げて現在に至っている。
境内の御祭神
| ・ | 麻為比賣社 |
| 延喜式神名帳に記載されているが、詳細は不明である。
享保年中(一七二五年)命により石碑を建てた。(現当地より
南百メートルの社地に)その後、大正七年(一九一八年)に津秦
天満宮に合祀され石碑も現在地に移し祭祀されている。 |
| ・ | 中言社 |
| 本殿に合祀。当地方の産土神としての守護神
(名草彦命、名草姫命) |
| ・ | 野槌社(牛神さん) |
| 農耕の神。「クサ」できものを治してくれる神
瓦製の牛は全国的に有名 |
| ・ | 弁財天社 |
| 芸術の神、芸ごと上達の神、七福神 |
| ・ | 稲荷社 |
| 厄除、家内安全、五穀豊穣の神 |
| ・ | 恵比須社 |
| 津秦の里を守る七恵比須神を祭祀
商売繁盛、家内安全の守護神 |
| ・ | 行者神変大菩薩、不動明王、八大龍王の堂 |
| 大峯不動尊の分身、津秦の里の崇敬者が持ちまわり
奉祀していたが昭和五十二年当社境内に祭祀 |
−境内説明より−
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