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式内社 紀伊國名草郡 伊久比賣神社 旧村社 伊久比賣命 |
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市姫大明神ともよばれ、和歌山市楠見地区の
産土神。祭神は伊久比売神。旧村社。「延喜式」
神名帳に載る名草郡「伊久比売神社」に比定され、
「紀伊国神名帳」に「従四位上伊久比売神」とみえ
る。現社地のある地点について「続風土記」は、
古代を通じて紀ノ川の流路が不安定な地域で、
本来のものとは考え難いとして、「封初、伊久
比売神社の遺跡を尋させ給ひ、当社を其神社と
考定し、土人の称号を改められ、亨保十一年に
至り境内四至に禁殺生のフダを立られ、漸く古祠
の姿を復し給ふ」と記しており、式内伊久比売
神社とされたのは徳川頼宣が紀州に入国して以
後のこととしている。そのため、同書は山口荘
谷村(現和歌山市)山王権現(現山口神社)の項に「当
社山王社相殿に伊久津姫命を祀ると云伝るとき
は、恐くはこれ古の影の僅に遺れる所にして、
延喜式並に本国神名帳に載する所の伊久比売神
ならんか」として、伊久比売神社の本来の鎮座
地を同地に求めている。同地は現在地から紀ノ
川を約一○キロ上流にさかのぽった所であるが、
「続風土記」自身もこの説については「其証とす
へき事なきを以て妄に改めす」として、慎重な
態度をとっている。最近の自然地理学的研究に
よると、現社地は平安時代に海中や河道内では
なかったことが明らかにされ、紀ノ川の一本流
は現社地の北方を流れていたとされる。したが
って、当社は古くから現在地にあった可能性が
あり、楠見一円の氏神的な神社であったと推定
される。ただし先述したように社とされたのは
江戸時代であり、なお検討すべき余地を残す。
−『大和・紀伊 寺院神社大事典』− |