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式内社 紀伊國牟婁郡 熊野坐神社 名神大 旧官幣大社 東石祠 中四社,下四社 西石祠 元境内摂末社合祀別社 下記十二社のうち、中四社と下四社を祀る。
元境内摂末社合祀別社には以下のものがある。 式内社 紀伊國牟婁郡 海神社3座 旧村社 摂社 底海神社 底津綿津見命,中津綿津見命,上津綿津見命 式内社 紀伊國牟婁郡 天手力男神社 旧村社 摂社 御戸開神社 天手力神 摂社 瀧姫神社 瀬織姫命(湍津姫命) 摂社 市杵島神社 市杵島姫命 摂社 八咫烏社 武角見命 摂社 高倉下神社(地主社) 高倉下命,穂屋姫命 摂社 大國主神社 大國主命 摂社 須勢理姫神社 須勢理姫命 末社 祓戸天神社 天兒屋根命 末社 音無天神社 少彦名命 末社 素戔嗚社 素戔嗚尊(牛頭天王) 末社 天神社 管丞相 末社 水戸社 罔象女 |
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熊野本宮大社の旧社地。
本宮大社から、168号線を渡り、狭い道の先にある河原の森。
明治二十二年六月、洪水で流出した社を石祠に祀る。
二祠あり、東側に中四社と下四社。西側には元境内摂末社を合祀。
中州の周囲を木々で囲み、「舟形」の社地であった。
熊野川を下る船に見立て、熊野の神を「船玉」と云う場合がある。
昔は、中州への橋がなく、参詣者は音無川の清流を歩いて
社地に入った。これを「ぬれわらじの入堂」とよぶ。
一種の禊祓である。

資料提供 みくまのねっと
現在、森の前には大鳥居が出来ている。
明治の流出以降、更地になっているが、社地復元の話はないのだろうか。
森へ続く道の分かれ道の先に、伊邪那美命荒魂を祀る産田社がある。
産田社が旧社地の森を見守っているようだ。
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旧社地 「大斎原」 太古より熊野牟婁郡音無里(本宮町本宮)ここ 大斎原に鎮まり、第十代崇神天皇の御代に至り、 社殿が創建されたとあります。史上有名な中世に 於ける「熊野御幸」は当聖地で宇多上皇より亀山 上皇に至る迄、歴代上皇、法皇、女院の行幸啓は 百数十度に及び、奈良朝の頃より本地垂跡説が行 なわれ、仏教をとり入れ、御祭神に仏徳を仰ぎ奉 り「熊野三所権現、又熊野十二社権現」と証われ て隆盛を極め、その後も公郷、武門、一般庶民に 至るまで朝野の参詣絶ゆることなく繁栄を続け、 時宗の開祖、一遍上人もここ証誠殿にて熊野神勅 を授かり成道したと伝えられています。時宗歴代の 上人(今日まで七十三代)は、宗門を継ぐ際は必ず当 大社に参拝奉告、時宗護法の神と崇めて今日に及 んでいます。 不幸にして明治二十二年の大水害にて八神殿は 倒壊、石祠にお祀り申し上げ主神の四神殿を、こ こより上流七〇〇米の高台にお遷り又と得がたい聖地で すから左記厳守され後世に伝え度く存じます。 一、火気厳禁のこと。 一、使用の際は神社の許可を得ること。 一、使用後は後始末を確実にして、その旨報告せられたい。 一、みだりに各所を撮影し他に利用しないこと。 −案内書きより− |
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