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矢田八幡神社
やたはちまんじんじゃ
[京都旅行] 京都府京丹後市久美浜町佐野  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 丹後國熊野郡 矢田神社
旧村社

御祭神
應神天皇 神功皇后 武諸隅命
配祀
孝元天皇 内色姫命

京都府京丹後市にある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線・久美浜駅の東9Kmほどの久美浜町佐野に鎮座。
312号線を東に進み、佐濃谷川と合流するあたりに境内入口がある。

表参道は南側、やや西向き。
低い階段の上に「式内村社矢田八幡神社」と刻まれた社号標が立っている。
数十メートルの広い参道を進むと石鳥居が立っており、
さらに進むと階段。階段の左手に騎馬像があり、右手に祠。
階段を上るとさらに階段があって神門がある。

当社を探して車を運転していたけれど、入口から鳥居が見えず
少し東へ行きすぎた場所で、バックミラーに鳥居が見えた。
そこは、裏参道の入り口のようで、
「式内矢田八幡神社」と刻まれた社号標が立っていた。

車を停めて、裏参道から歩いて参拝。参拝は8月の休日の早朝。
写真では明るく見えるが、実はまだまだ暗い時刻。
竹林の中の参道はさらに暗く、怪しさと厳かさが混在した神域。
良い雰囲気だなぁと考えながら歩いて行くと、
神門の前の階段の下で、表参道と合流。
階段を上り、神門をくぐると、静かな境内。
(早朝だから静かなのは当然だが)

境内奥に階段があり、階段の上に拝殿。
拝殿の後方に、入母屋造の立派な本殿がある。

社伝によると、
崇神天皇十年、四道将軍の一人丹波道主命が勅命により
山陰地方平定のため丹後国に至って比治の真名井に館を構えられ、
平定祈願のため、矢田部の部民(物部)に祖神を祭らしめられたのが当社の起源。

よって、もとの祭神は饒速日命孝元天皇、皇后の内色姫命であったが、
奈良朝になって物部氏と蘇我氏の争いによって物部氏が滅亡し
矢田部一族は蘇我氏の探索を恐れて、宇佐八幡を勧請して
矢田八幡と改めたという。

式内社・矢田神社の論社となっている古社。

当社に残るという『神霊由来記』には、
「矢田者則八幡之中略也」とあるらしく、
矢田の名から八幡(やはた)を連想したのかもしれない。

奈良県大和郡山市の矢田町には、
物部氏祖神・饒速日命を祀る矢田坐久志玉比古神社が存在する。

当社付近は石清水八幡宮の荘園であったようで、
建武より文亀にいたる160年間、
石清水八幡宮の佐野別宮と称せられたという。

境内右手に境内社が二つ納まった社殿がある。
『平成祭データ』には、当社の摂末社として
高良神社(武内宿禰命)、水無月神社(月讀命)、
若宮神社(卯の御神)、御霊神社(應神天皇)の名が載っているが
この二つの境内社と、表参道階段下の祠のどの社がどれかは不明。

本殿の近くに社日天照皇大神 倉稻魂命 少彦名命 大己貴命 埴安媛命)が立っており、
神門の外に、若宮神社と社号を刻んだ石柱が一つ。
若宮神社は卯の御神を祀っているそうだが、ウサギ年の守護神だろうか、
月のウサギで、月讀命の神使としてウサギを祀っているのだろうか。

参拝を終え、撮影しながら表参道を戻って312号線に到着。
車を停めている東へ312号線を歩こうかと思ったが
裏参道の雰囲気が良かったので、境内に戻って裏参道を歩いて車へ。
当社へ到着した頃よりも明るくなっていたけれど
それでもなかなか良い参道だった。


南側、表参道入口

表参道鳥居

表参道。騎馬像と祠

東側、裏参道入口

裏参道鳥居

昼なお暗き、裏参道

参道は合流する

神門

境内

拝殿

拝殿から本殿

本殿

境内社二社

若宮

社日

矢田八幡神社
崇神天皇10年四道将軍の一人丹波道主命は勅命により山陰地方平定のため丹波国(今の丹後国)に至り、比治の真名井に館を構えられたが無事平定を祈願のため矢田部の部民をして祖神を祭らしめられ、熊野郡では矢田神社を祭祀せられた。当初の祭神は饒速日命孝元天皇、その奥后内色姫命であったが、奈良朝に至り、当時の物部氏と蘇我氏の争いからついに物部氏亡び蘇我氏の探索は当地にまでおよび矢田部一族はそれを恐れ、宇左八幡宮を勤請して社名を矢田八幡と改めた。その後建武より文亀に至る160年間は山城岩石清水八幡宮佐野別宮と称せられていた(古文書あり)。当時佐野谷14ケ村の氏神として崇敬されてきたが、現在は佐野、小桑2ケ村(部落)の氏神となっている。明治の中葉社務所焼失のためほとんどの文書を焼失したが、焼残り文書の一つに「神霊由来記」がある。それによると「丹後国熊野郡佐野村延喜式神名(中間破損)矢田八幡神社十一座の内矢田神社矢田者則八幡之中略也(以下略)とあって、当社が熊野郡式内神社十一座の一社である事を示している。当社の付近に矢田谷という地があるが、住古矢田部族の住居地であったと伝承し、今古墳屋敷跡用水池などが残存し、時々高杯布目瓦等の出土しその一部は神社に保管してある。大正5年12月幣饌科供進神社に指定を受けた。境内地坪2,400坪、外に宮所有山1町1反、社殿は文政3年9月再建。孝元天皇と内色姫命の両神像(木造)は京都府文化財保護課神島技官の鑑定にて藤原時代の作と認められ、康治(平安)2年薬師像(木造)有り、古文書は建武2年(1335)、貞治2年(1363)、文亀2年(1502)の3通い何れも石清水八幡宮の文書冩にして当社に関するもの、及び延享2年(1745)豊岡県神社神主書状一巻。(式内社調査報告による)

−『平成祭データ』[原文ママ]−



最終更新日:2013/10/09
【 矢田八幡神社 (久美浜町) 】

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