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まつのおたいしゃ
[京都旅行]

千早ぶる松尾の山の影みれば けふぞ千年の初めなりかる
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式内社 山城國葛野郡 松尾神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗 旧官幣大社 御祭神 大山咋神 中津嶋姫命(市杵島姫命) 境外摂末社式内社 山城國葛野郡 葛野坐月讀神社 名神大 月次新嘗 月読神社 月読尊 山城國葛野郡 櫟谷神社 櫟谷宗像神社 奥津島姫 市杵島姫 松尾大社公式サイトを開く |
阪急嵐山線松尾駅そばにあり、駅を下りると大鳥居が見える。
松尾山を背にしており、全体に渋い色調で落ち着いた雰囲気だ。
社伝によると、大宝元年(701)の創祀。
秦忌寸都理が、松尾山大杉谷の磐座の神霊を勧請したという。
天平三年(730)大社に預かり、
延暦三年(784)十一月二十日、長岡京遷都に際し従五位下を
延暦五年(786)十二月二十六日には従四位下を
承和十二年(845)五月二十四日には正四位下に昇階し、
貞観八年(866)十一月二十日には正一位に叙せられた大社。
当地は、四世紀前後、秦氏が朝廷の招きによって居住した場所であり、
賀茂との関連を見ることも出来る。
祭神・大山咋神は、古事記に、
「亦の名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、
亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ」と記されている神。
「鳴鏑」の伝承に似た伝説は、賀茂別雷神社にも残されており、
別雷神の父神は、大山咋神となっている。
当社は、「酒の神」として有名で、
各地に、松尾神社として勧請されている。
背後の松尾山(223m)には松尾社の古社地があり、
磐座と考えられる巨石があるという。
境内は広く。神職の方々が朝の作業の真最中だった。
参道入口の大鳥居 |
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参道 ![]() | 脇勧請という榊の小枝を下げた鳥居 ![]() |
参道 |
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しゃもじがたくさん | |
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境内 ![]() | 中門 ![]() |
境内 |
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衣手社 ![]() | 相生の松 ![]() |
祖霊社 ![]() | 金刀比羅社 ![]() | 一挙社 ![]() |
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松尾大社 大山咋神と市杵島姫命の二神を祀る。 大宝元年(七〇一)秦忌寸都理が、松尾山大杉谷の 磐座の神霊を勧請し、当地に社殿を建立したのが起りと 伝え、平安時代には皇城鎮護の神として、また中世以 降は醸造の神として人々の信仰を集めている。 本殿(重要文化財)は「松尾造り」と呼ばれる珍しい 建築で、天文十一年(一五四二)に改築されたものである。 宝物としては、等身大の男神坐像ニ体、女神坐像 一体(ともに重要文化財)を有する。 毎年四月に行われる松尾祭には、神輿の船渡御 があり、多くの人々で賑う。 −案内板より− 旧官幣大社。祭神は大山咋命・中津島姫命(市杵島姫命)の二柱。大山咋命は『古事記』に「大山咋神、亦名は山末之大主神、此の神は近淡海国の日枝山(滋賀県大津市・日吉大社)に坐す。亦、葛野の松尾に坐す鳴鏑に成りませる神」とあり、その葛野の松尾が本神社にあたる。女神の「市杵島姫命は胸形の中津宮に坐す」神で、九州・宗像大社の中津宮をさすが、これには異説がある。本神社の創祀は文武天皇の太宝元年(701)に秦忌寸都理はたいみきとり(つり)が社殿を初めて造営したとするが、神社の神山には秦氏の祭祀よりも古い時代の遺跡があることから推しても、秦氏以前からここに奉祭神があったことがわかる。 −『神社辞典』− |
京都駅近く、七条に御旅所がある。 | |
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