式内社 志貴御縣坐神社 大 月次新嘗
旧村社
大己貴神
天津饒速日命 『神道大辭典』
御縣の霊 『大和志料』
桜井市金屋、三輪山の麓、天理教大教会の東にある。
目立たない場所にあるが、山辺から長谷へ向かう場所。
古代では重要な場所だったのかもしれない。
崇神天皇の皇居(磯城瑞籬宮)跡とも云われる土地だ。
大和には、幾つかの「御県に坐す神」が祀られている。
延喜式では、高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布の六社。
その中の一つ。
祭神は、神社明細帳では大己貴神になっているが、諸説ある。
境内右手の垣の中には、磐座があり、
境内社には、春日・琴平・厳島。
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六御県命
『延喜式祝詞』の祈年祭・月次祭に「御県に坐す皇神等の前に白さく、高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布と御名をば白して、此の六つの御県に生ひ出づる甘菜・辛菜を持ち参り来て、皇御孫の命の長御膳の遠御膳と聞こし食すが故に、皇御孫の命のうづの幣帛を称へ辞竟へ奉らくと宣ふ」とあり、『延喜式神名帳』に 葛木御県神社と十市・志貴・山辺・添の御県坐神社は大社に、高市御県神社は名神大社に列し、祈年・月次・新嘗の官幣に預かり、祝詞の六御県の中にない久米御県神社もみえる。これは後に追加されたもので、貞観式に登載されたと考えられる。神階は『三代実録』貞観元年(859)に、六御県神に従五位上の昇叙がみえる。
▼志貴御県坐神社 奈良県桜井市金屋西ノ垣内。旧村社。天津饒速日命を祀る。『新抄格勅符抄』に「志貴御県神十二戸」とある。例祭九月一七日。
−『神社辞典』−
金屋集落の北西山手に鎮座。旧村社。祭神は
大己貴神(神社明紬帳)・御県の霊(大和志料)のほ
か、天津饒速日命などの説がある。由緒はつま
ぴらかでないが、拝殿右には原始信仰を物語る
磐座があり、境内は崇神天皇の「磯城瑞籬宮」推
定地とされるなど、鎮座の古さをしのばせる。
俗に「シキノ宮」と称し、大和六御県神(「延喜式」
祝詞)の一とされる。天平二年(七三○)「志癸御県」
の神戸に城上郡内で租穀一千三五一束八把を定
め、うち四束を祭神料とした(「大倭国正税帳」正
倉院文書)。大同元年(八○六)神封二戸をあてら
れ(新抄格勅符抄)、天安三年(八五九)一月二七日
に従五位下より従五位上に昇叙された(三代実録)。
「延喜式」神名帳に城上郡「志貴御県坐神社大、月次
新嘗」とみえる。文明六年(一四七四)の宿院会米帳
(大宮家文書)に「七升定地子(中略)シキノミヤノ四
郎」とあり、シキノミヤは当社のことと考えら
れる。「日本書紀」神武天皇二年二月二日条に、
弟磯城(名は黒速)を磯城県主としたことがみえ、
磯城県主は当社付近を中心として、のちの城上・
城下郡に勢力をもち、大和朝廷と独自の婚姻関
係を結んだ古代豪族であった。天武一二年に連
となり、「新撰姓氏録」大和国神別に志貴連は神
饒速日命の孫日子湯支命の後裔とする。当社は
この名族によって奉斎されたものと推定される。
ちなみに桜井市初瀬の与喜山のヨキは、湯支命
のユキがなまったものと考え、式内社の志貴御
県坐神社を初瀬の与喜天満神社にあてる説もあ
る(皮会延経「神名帳考証」)。
−『大和・紀伊 寺院神社大事典』−
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