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賀茂御祖神社
かもみおやじんじゃ
京都府京都市左京区下鴨泉川町59  Zenrin Data Com Maps display !!
名にしおへは 浮世の人のいつはりを たゝすの宮に まかせてそみる

加茂葵

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式内社 山城國愛宕郡 賀茂御祖神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗
旧官幣大社
山城國一宮

下鴨神社公式サイトを開く

御祭神
東御本殿 玉依媛命
西御本殿 賀茂建角身命

京都府京都市にある。
賀茂川と高野川が合流する下鴨泉川町に鎮座。
出町柳駅を降りて、高野川を渡ると参道入口。
境内は南北に長く、境内一帯を「糺の森」といい、昔から歌に詠まれた史蹟。
『拾玉集』の慈鎮の歌に
「名にしおへは 浮世の人のいつはりを たゝすの宮に まかせてそみる」

社記に、天武天皇六年(677)に社殿が造営され
二十一年ごとに式年遷宮が行われた。
現在の社殿は、江戸時代の造営で、
東西本殿が国宝に、その他社殿五十三棟が重要文化財だそうだ。


参道と社号標

参道入口から300mほどの参道を北上するが
入口近く、西側に第一摂社・河合神社が鎮座している。
一応、境内社なのだが、そこらの神社に負けない規模の神社だ。

河合神社の祭神は、賀茂御祖神社祭神・玉依媛命とは同名異神で、
海神の娘で、神武天皇の母の玉依姫命
鴨長明がこの社の禰宜に任命されることになっていたらしい。

河合神社は、式内社・鴨川合坐小社宅神社に比定されている神社。
創祀年代は不詳。
「社宅」とは本宮・賀茂御祖神社と同じ祭神ということらしく、
「鴨川合坐小社宅神社」とは、鴨川の合流する地に鎮座する
小さな賀茂御祖神社ということだろうか。
あるいは、本宮・賀茂御祖神社の社家、つまり祭祀する宅神ということか。
また、一説には河合神社を式内社・須波神社とする説もあるらしい。

神門をくぐると、六社を並べて祀られている末社がある。
もとは瑞垣内に別個に祀られていたが、江戸時代に一棟にまとめられた。
左から、由木社(少彦名命)、印社(霊璽)、竈社(奥津日子神 奥津比賣神)、
稲荷社(宇迦之御魂神)、衢社(八衢毘古神 八衢比賣神)、諏訪社(建御名方神)の六社。

この一番右手祀られている諏訪社が、通称・下ノ諏訪といい、式内社・須波神社の論社。

神門の奥に河合神社の社殿があるが、
瑞垣の中、本殿の左手には任部社、古名・専女社(八咫烏命)と
賀茂御祖神社摂社・貴布禰神社高龗神)が祀られている。

この任部社を本来の河合神社、つまり式内社・鴨川合坐小社宅神社とする説もある。
もとは専女(稲女)の社として食物の神を祀っていたが、
安元元年、小烏社と合祀された。

神門の向いに、朱の垣に囲まれて三井社、別名・三塚社がある。

祭神は、玉依媛賣(東社)、賀茂建角身命(中社)、伊賀古夜日賣命(西社)。
この三井社は、式内社・三井神社の論社。
鴨社蓼倉郷の総祖社として祀られていた社だという。


河合神社 玉依姫命
式内社・鴨川合坐小社宅神社

河合神社神門

河合神社社殿

河合神社六社(由木社、印社、竈神、稲荷社、衢社、諏訪社)
右端の諏訪社(下ノ諏訪 建御名方神が 式内論社・須波神社

瑞垣内の任部社(専女社)

瑞垣内の貴布禰神社

河合神社門前三井社(三塚社)
東社 玉依媛賣 中社 賀茂建角身命 西社 伊賀古夜日賣命
式内論社・三井神社

賀茂御祖神社参道へ戻る

賀茂御祖神社に関して。

北区にある 賀茂別雷神社 を上社と称し、当社・賀茂御祖神社を下社と称す。
よって、通称は下鴨神社。

創祀年代は不詳。
『日本後記』に、大同二年(807)「賀茂御祖神別雷神並奉授正一位」とあり
『新抄格勅符抄』に、「鴨御祖神 廿戸 山城十戸、丹波十戸、天平神護元年九月七日」
とあるので、天平時代にはすでに封戸を持つ大社であった。
社記には崇神天皇の御代の記録もあるという。

式内社・賀茂御祖神社二座に比定されている古社であり
「二座」とあるように、祭神は、東御本殿に玉依媛命、西御本殿に賀茂建角身命を祀る。

日向国曽の峰に降臨した賀茂建角身命は、神武天皇を先導して
大和の葛木山に宿り、さらに山代国岡田の賀茂に移り、
その後、久我国の北山基に鎮座。
丹波国神野の神伊可古夜日売を娶り、玉依日子・玉依日売が生まれた。

ある日、玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、
丹塗矢が川上から流れ下って来た。
これを床のまわりに置いていたところ、玉依日売は妊娠し、男子を産んだ。
成人し、建角身命が、「汝の父に酒を飲ましめよ」と言ったところ、
天に向かって杯を手向け、昇天した。
それが、賀茂別雷命である。
また、父は乙訓社の雷神であったという。

毎年五月に行われる当社の賀茂祭は、葵祭として有名だ。

旧官幣大社。祭神は東本殿に玉依姫命、西本殿に賀茂建角身命の二座。社伝によれば神武天皇の代に、本社の重儀たる御蔭祭の奉仕される摂社御蔭神社の地(御蔭山)に降臨さられたとする。その後、天武天皇の六年(677)二月に下鴨の現地に社殿が造営されたとするが、本社は天平頃に賀茂神社(上賀茂)から分立したとする説がある。社名が示す通り上賀茂に鎮座の別雷神の母神、外祖父神を祀り、子孫の賀茂一族が社家として他社を混じえず明治の新制度まで累代奉仕した。(中略)摂末社は河合・出雲井於・三井・賀茂波爾(以上式内社)・御蔭など二十九社をかぞえる。

−『神社辞典』−


御祭神は、日本のれい明期において、早くから京都地方を開拓し農耕殖産の道を教え、更に正邪を糺して裁判の基を開かれた。かの神武天皇の御東遷に際しては、金鵄・八咫烏としてその霊徳を現され、建国創業をたすけ、民生の安定に貢献されたことは古典や伝承の示すところである。また玉依媛命は、賀茂別雷神社(通称上賀茂神社)の祭神「別雷神」の御母神であり、婦道に御功績が多かった。かくて当神社に対する信仰は往古から甚だ根強いものがあり、特に王朝時代に隆盛を極め今日に至っている。千数百年の伝統を誇る葵祭は、勅祭として、今もなお昔ながらに継続斎行されている。殖産興業、五穀豊穣、馬事安全、縁結び、安産、育児、方除け、印鑑守護等、多方面にわたる御神徳は、今日の賀茂信仰の根底をなしている。また観光部面においても、王朝の昔を偲ぶ十二単衣の着付と王朝女人の雅楽舞、舞楽等があり、毎日、京都市観光バスのK・Nコースによって好評を博している。

−『平成祭データ』−


「糺の森」が参道で、境内・境外に摂社・末社が多く、式内社・論社も多数存在する。
賀茂御祖神社参道から奥は次のページへ。

ちなみに、境内・境外摂末社の中で以下のものが式内社(論社)となっている。

境内 式内社
山城國愛宕郡 出雲井於神社 大 月次相嘗新嘗
摂社出雲井於神社
建速須佐乃男命

山城國愛宕郡 出雲井於神社 大 月次相嘗新嘗
摂社井上社(御手洗社)
瀬織津姫命

山城國愛宕郡 末刀神社
末社愛宕社
火産霊神 奈良殿神 酒殿神

山城國愛宕郡 須波神社
摂社三井神社諏訪社(上ノ諏訪)
建御名方神

山城國愛宕郡 三井神社 名神大 月次新嘗
摂社三井社
賀茂建角身命(中殿) 玉依日売命(西殿) 伊賀古夜日売命(東殿)

山城國愛宕郡 須波神社
山城國愛宕郡 鴨川合坐小社宅神社 名神大 月次相嘗新嘗
摂社河合神社
玉依姫命

山城國愛宕郡 須波神社
摂社河合神社諏訪社(下ノ諏訪)
建御名方神

山城國愛宕郡 鴨川合坐小社宅神社 名神大 月次相嘗新嘗
摂社河合神社任部社
八咫烏命

山城國愛宕郡 三井神社 名神大 月次新嘗
摂社河合神社門前三井社(三塚社)
賀茂建角身命(中社) 伊賀古夜日賣命(西社) 玉依媛賣(東社)

境外 式内社
山城國愛宕郡 出雲高野神社
山城國愛宕郡 小野神社二座
摂社御蔭神社
賀茂建角身命荒魂 玉依日売命荒魂

山城國愛宕郡 賀茂波爾神社
摂社賀茂波爾神社
波爾安日子神 波爾安日女神

もっと詳しい内容へ

【 賀茂御祖神社 下賀茂神社 下鴨神社 】

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