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式内社 近江國犬上郡 多何神社二座 旧官幣大社 多賀大社公式サイトを開く 伊邪那岐大神 伊邪那美大神 境内末社 式内社 近江國犬上郡 日向神社 |
滋賀県多賀町にある。
近江鉄道多賀線多賀大社前駅から東へ1Kmほどに鎮座。
駅前に大鳥居があるらしいが、当日は道に迷いながら、
違う道を来たので、見ていない。
境内入口の鳥居をくぐると石のそり橋。
秀吉が当社へ寄せた信仰から「太閤橋」とも呼ばれるが、
正確には、太鼓橋。
寛永15年、大僧正慈性によって社殿とともに造営されたもの。
そり橋を越えると、神門があり、神門の中に広い境内がある。
参拝日は寒い二月の朝。
境内には雪が少し残って凍っており、
神職が一生懸命に掃除をしていた。
通称、お多賀さま。
多賀の文字は、田鹿・多何・田呵などと記されることもあり、
多賀の語義は、高地だと言われている。
鎌倉以降は、多賀神社と称されることが多いが、
昭和22年、多賀大社と改称し、現在に至る。
『古事記』に「坐淡海多賀也」と記されている
伊邪那岐大神を祀る神社。
創祀年代は不詳。
社伝では、鎮座の仔細を以下のように伝えている。
伊邪那岐大神が、多賀宮に鎮まり坐そうとして
杉坂の急坂にさしかかった時、土地の老人が、
栗の飯を柏葉に包んでさし上げた。
大神は、その志を愛でて、食後に箸を地に挿した。
後に、この箸が大杉となって杉坂となった。
また、山路の途中に疲れて「くるしい」と
言った場所が、栗栖という地。
そこには現在、御旅所の調宮がある。
当社の神紋は三つ巴だが、虫くい折れ柏の紋も使用している。
柏の葉が折れ曲がり、「莚」の字の形に虫が食った紋。
八十歳になった沙門俊乗坊重源が、東大寺再建の事業に及んで、
その成功を祈願し、伊勢神宮へ17日間参籠した。
その時、夢の中に、大神が出現し、
寿命を延ばしたいなら、多賀神へ申請すべしと告げた。
そこで、俊乗坊重源は急いで本社に参詣した。
その時、眼前に一片の葉が風に飛ばされて来た。
見ると、「莚」の字に虫が食っている。
「莚」は「廿延」と読めるのは、寿命がもう二十年延びるという意味。
この神意により、見事、東大寺再建を成し遂げ、
お礼の参詣の時、境内の寿命石に坐して
眠るように亡くなった。年齢は百余歳であったという。
境内に入ると、右手に神馬舎と能舞台。
正面に社殿があり、垣の中に木々に覆われた本殿がある。
境内右手に境内社が並び、最奥の金咲稲荷社の横から、
本殿が見えるが、木々が多くて撮影は難しい。
移動しながら見ると、けっこうハッキリとわかるのだが。
境内社に関しては、次のページに。
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由緒
この男女二柱の大神は、はじめて夫婦の道をおこされ、わが国土と万有の神神と、その主宰神としての天照大神をお生みになられましたので昔から、わが日本国の祖神さまと仰がれ奈良時代の初めにできた「古事記」には、すでに淡海の多賀に鎮座という記事が見えています。 そこで早くより朝野尊崇あつく、延命長寿の守護神を信仰されてきました数数の霊験は、社蔵の古文書やご宝物、また境内にのこる寿命石、太閤蔵、文部省指定の各勝「奥書院庭園」などが明らかに物語っております。 四月二十二日の多賀まつり(古例大祭)は鎌倉時代からの伝統を今に伝える華麗な神幸行列で名高く、節分祭、お田植祭、万灯祭、九月古例祭、講社大祭、豊年講秋祭なども大変にぎわいます。 室町時代以来の由緒をもつ全国各地の多賀講や崇敬会にも加入して神縁を結ばれる人々が年々増加しています。ご本社から廊下つづきの鉄筋二階建ての参集殿では、これらの団体やグループのおこもり(宿泊)、あるいは荘厳な儀式殿において挙式された結婚式の披露宴その他いろいろの集会をお世話しています。 −『平成祭データ』− |